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澤野 雅樹 教授(専攻 犯罪社会学)

(1) 社会学とはどのような学問とお考えですか。

ごくごく個人的な見解に過ぎないが、来るべき社会学の肖像を簡単に素描したい。

これまで社会学者は、自分たちが取り扱っている分野が途轍もなく広大だと思いこんできた。しかし、実際はどうだろうか。いつの頃からか、私は社会学というのは、かなり狭くて息苦しい学問なんじゃないかと感じるようになってきた。なにしろ人間の社会しか扱ってこなかったのだから。

今や自然科学者たちが果敢に人文系の問題群に取り組みはじめ、大胆な仮説を発表するようになった。生物学者や地質学者が果敢に人類の未来について警告を発するようになる一方、社会性昆虫や社会性の名を冠した哺乳類についての研究を、社会学者は生物学者にまかせきりにして、手を出そうともしてこなかった。この不均衡はどうしたことだろう?

人文科学(ヒューマン・サイエンス)の諸領域は、間もなく自らの営みを根底から問い直さざるを得なくなるはずだ。たぶん「人間」の枠内にとどまるか否かをも含め、重大な岐路に立たされることになるだろう。そのときに向かい合わなければならない問いは、学問分野の生き残りを賭けたものになるとともに、人間の生き残りについての賭けをも含む、できれば取り組むのを避けたかった難問の数々となってゆくにちがいない。

究極的には人間が滅びた後の世界に残すべきものは何か、といった厄介な問題にも取り組まなければならなくなるだろう。

(2) 先生が専攻されている、あるいは、この大学で学生に教えられている社会学とはどのような学問ですか。

大学では「犯罪社会学」と「暴力の論理学」という講義を担当している。

たぶん普遍的な犯罪というものはない。普遍的な禁止もない。人類の全体に行き渡っているように見える禁止さえ、しばしば解除される。例えば、人々は普段、殺人犯を声高に非難するが、戦争が始まれば禁止は解除され、敵の兵士を殺害するよう命じられ、大量殺戮が賛美されるだろう。殺人事件を声高に非難するその人が「遺族感情」を楯に死刑という形で国家による殺人を懇願し、殺害の遂行を感謝することだって珍しくない。

また、法がない社会では、そもそも犯罪という観念が生まれようもない。その種の社会に暮らす人たちには罪責感もなく、それゆえ日常的に裏切りと報復が横行することになるわけだ。

法と犯罪は人類にあまねく行き渡っているわけではない。倫理や道徳もそうだ。サザエさんの主題歌に「お魚くわえたドラネコ」をサザエさんが追いかけるくだりがあるが、ドラネコに加害の意図はなく、単に腹が減っていたにすぎない。ドラネコはヒトから魚を盗ったことはわかるけれども、それが悪いことだとは微塵も感じない。それゆえネコに良心の呵責を期待するのはまちがいなのだ。

犯罪は、国家を前提としている。言い換えるなら、犯罪とは法と一緒に制定された観念である。しかも「加害の意図」や「罪責感」という、これまたローカルな宗教感情と結びついた意識の存在を前提している。今後、我々が、国際社会という舞台においても、行為の有罪性を問題にしようとすれば、西欧ローカルな宗教に固有の意識(有罪性、罪責感)との結託を、ともすれば国際規模で強要しかねないことになる。

大事なのは次の一点だ。二一世紀以降、法秩序に絡む問題はすべて、二〇〇四年九月、当時の国連事務総長だったアナン氏が口にした「法の支配は今、世界中で危機に瀕している」という発言から汲み取れるあらゆる含意とともに考察を進めなければならない。

(3) 1~2年次で読んで欲しい本

  1. 『オイディプス王』(ソポクレス 岩波文庫ほか) ギリシア悲劇の代表作。物語が素晴らしいのは言うまでもないが、数千年にわたって文学をはじめ、さまざまな学問に大いなる霊感を与えてきた点でも、避けて通れない本。精神分析におけるエディプス・コンプレックスの概念はもちろん、レヴィ=ストロースによる構造分析など例を挙げればきりがない。ちなみに同じ作者の『アンティゴネ―』も『オイディプス王』に劣らず重要な古典である。真に悲劇的なのは、事の始めにギリシア悲劇を知ってしまったことだ。その降の演劇にとっての不幸という意味で。
  2. 『ガリヴァー旅行記』(ジョナサン・スウィフト 岩波文庫) 子ども向けの滑稽な物語と思っている人たちは是非とも読んでおこう。当時のイギリス社会を風刺しているだけでなく、その批判の矛先が現代日本にまで届いている書物である。とにかく辛辣かつ危険な本だが、そのヤバさこそ文学の真髄であろう。 危険な文学の系譜を辿りたい人のために他の作品も幾つか挙げておこう。マルキ・ド・サド『ソドムの一二〇日』(青土社)、オスカル・パニッツァ『性愛公会議』(『パニッツァ全集』所収、筑摩書房)、アントナン・アルトー『ヘリオガバルス』(白水社)、ジョルジュ・バタイユ『眼球譚』(二見書房)といったところか。
  3. 『審判』(フランツ・カフカ 角川文庫) カフカの代表作。できれば『城』も読みたいところ。かつて『アメリカ』の表題で訳されていた作品も新たに『失踪者』の表題で出ている。短編集もお勧め。色々な読み方ができるのもカフカの魅力だ。興味をもったなら、次はカフカ論に挑むのもいいだろう。
  4. 『知識人とは何か』(エドワード・W・サイード 平凡社 1995) パレスチナ系の英文学者、サイードが学問や研究を生業とする者(知識人)の姿勢を再考し、ありうべき方向を提示した本。専門分野に閉じこもり、いいように権力に利用されてしまうタイプの知識人(御用学者と呼ぶ)を批判し、専門分野を越えて学問の批判的な機能を果たそうとする知識人を擁護する。カントの「啓蒙とは何か」や、マックス・ウェーバーの『職業としての学問』と比較しても面白いし、晩年のサイードが殊に親近感を寄せていたドゥルーズの『記号と事件』などと併せて読むのも面白い。
  5. 『指輪物語(全6巻)』(J・R・R・トールキン 評論社) 巷に溢れるファンタジー文学や、『ドラクエ』『FF』などRPGゲームの原点に位置づけられる物語。全く知らない人は、前史にあたる『ホビットの冒険』(岩波少年文庫)から読み始めるのもいいだろう。著者のトールキンはオックスフォード大学で言語学の教鞭をとっていた大学教師。同僚の集まりの中にC・S・ルイスもいて、執筆中の『指輪物語』の朗読に刺激を受け、『ナルニア国物語』を構想したという有名な逸話もある。一人の人間の想像力がここまで広大かつ細密な世界を創造し得たということに今も驚きを禁じ得ない。全巻を読破したとき、きっと映画化された『ロード・オブ・ザ・リング』三部作ですら、単なるダイジェスト版にすぎなかったことに気づかされるだろう。
  6. 『ホット・ウォーター・ミュージック』(チャールズ・ブコウスキー 新宿書房) つべこべ言わずに読んでみる。最初は、小説であれエッセイであれ、短い文章がたくさん詰まった本から入るのがいい。文庫化されているものもたくさんあるので、適当に見つくろって読んでみよう。『ホット・ウォーター・ミュージック』が本屋にない場合は、『町でいちばんの美女』、『ありきたりの狂気の物語』、『ブコウスキー・ノート』、『くそったれ!少年時代』等、何でもいい。要は、ブコウスキーの文章が自分の趣味に合うか合わないかを確かめることである。教訓らしきものが何もないただの文章がそこかしこに転がっている。笑い、酔い痴れることができたなら別の本に手を出せばよい。もしもブコウスキーが「お下劣で嫌い」なら、今度はリチャード・ブローディガンを手にとり、『西瓜糖の日々』や『アメリカの鱒釣り』に向かってみよう。
  7. 『死亡遊戯』(藤沢周 河出文庫) 物語よりも彼の書く鋭利な文章を味わってほしい。小説の中で、言語はいったい何をしようとしているのか、何を指し示し、何を微分しようとしているのか。「著者は何を言いたいのか」という愚劣な問いかけから足を洗い、文章がいったい何をしているのかという観点に移らないと、藤沢の書くものの真価は永遠に分からないだろう。他にも芥川賞受賞作の『ブエノスアイレス午前零時』(河出文庫)などがある。私的な話になるが、藤沢はわたしが大学生の頃からの友人であり、『死亡遊戯』の文庫版でわたしが「解説」を書いたのは、青臭い学生時代、酒の席で冗談めかして語っていた夢が図らずも現実になったことの美しい証拠である。
  8. 『放浪の天才数学者エルデシュ』(ポール・ホフマン 草思社 2000) 数学に対する苦手意識を払拭するには、飯より数学が好きな人の話を読んだり聞いたりするのが一番。ポール・エルデシュという人ほど数学を愛し、数学に愛され、また多くの人から愛された変人も珍しい。この評伝にもたくさんの愛が溢れている。読み終えた時、きっとエルデシュにとっての数学のような、心から愛し、打ち込める何かが自分にも欲しいと思うだろう。数学者の本をもう一冊。『無限の天才』(ロバート・カニーゲル 工作舎)。こちらは不運が重なって、とても悲しい最期を遂げた数学者、それもインドの片田舎出身で、殆ど独学で数字と戯れ続けた伝説的かつ孤高の数学者・ラマヌジャンの伝記である。悲劇という点では『「無限」に魅入られた天才数学者たち』(アミール・D・アクゼル ハヤカワ文庫)も、集合論の創始者であるカントールと不完全性定理のゲーデルを襲った狂気と死を扱っている点で興味深い。エルデシュには数学への限りない愛があるが、ラマヌジャンには数学に魅入られ、取り憑かれてしまったという意味で、狂気に近い怪しい輝きが見え隠れする。カントールとゲーデルの精神疾患には「無限」の魔物性がからんでいて、ある種の空恐ろしささえ感じさせられる。どの本も数学嫌いの人にお勧め。
  9. 『アレックスと私』(アイリーン・M・ペパーバーグ 幻冬舎 2010) アメリカでは広く知られたオウムと飼い主であるペパーバーグの物語。読んでいると、天才的なオウムが成し遂げた偉業の物語なのか、冷遇されてきた研究者の苦労話なのか、わからなくなりそうになる。みんな貧乏が悪いんだ‥‥。いやいや、そうではない。大事なのは、オウムが単に物真似をするだけの生き物ではないということだ。ヨウムのアレックスは、クルミほど大きさの脳でヒトと会話をし、簡単な計算もこなし、晩年には独力でゼロの概念に到達したという。我々はトリがヒトの言葉(英語)を外国語として習得し、強いられたゲームとして算術を行なった事実を弁えた上で、その「お利口」ぶりを知る必要がある。オウムだけが特別じゃないという意味では、渡辺茂著『鳥脳力』(化学同人)なども参考になる。その先に待っている命題はこうだ。「なにも人間だけが特別だったわけじゃない。」
  10. 『生命40億年全史(上・下)』(リチャード・フォーティ 草思社文庫 2013) 先ずは続編の『地球46億年全史』(草思社)を手にとり、渡辺政隆氏による「訳者あとがき」を読んでみてほしい。あるホームレスの老人から読者カードが版元に寄せられた。その老人は街灯か月明かりをたよりに文字を追った後、夜空を眺め、いったい何を思っていたのか。たぶん数十億年に及ぶ悠久の歴史に思いを馳せながら、自分の生命が歴史の一コマとして、今、ここに、たまたま瞬いているという感覚だったのではないか。それにしても、イギリスの生物学者たちは、どうして叙事詩を紡ぐことに、あんなにも長けているのだろう‥‥。

(4) 3~4年次で読んで欲しい本

  1. 『エチカ』(スピノザ) 一挙に読破しようとか、すぐに理解しようなどと考えてはならない書物。岩波文庫から上下巻で出ているものの、個人的には中公クラシックスの工藤訳の方が読み易いと思う。工藤氏はドゥルーズ『スピノザと表現の問題』(法大出版局)の訳者でもある。分かり易い入門書から入りたいという向きには、上野修『スピノザの世界』(講談社現代新書)、『スピノザ』(NHK出版)がお勧め。スピノザの存命中に出版され、大スキャンダルを引き起こした『神学・政治論』をこれ以上は望めないというくらい明晰に説き明かしている後者は、絶品料理の味わいと言うべきか。次に進むとしたら、たぶんジル・ドゥルーズ『スピノザ――実践の哲学』(平凡社ライブラリー)しかない。これらを読んで何かを渇望する気持ちが湧いて来たら、その気持ちが冷めないうちにスピノザに向かうべし!
  2. 『言葉と物』(ミシェル・フーコー 新潮社 1974) おそらく二〇世紀後半で最も話題になった思想書はこれにちがいない。他の先生がたが他のフーコーの著書をすでに挙げているので、わたしにはこれしか残っていなかったのだけれど、正直に言えば、やっぱり『言葉と物』が最も好きかもしれない。『狂気の歴史』や『監獄の誕生』など他の主著が社会学に役立つ内容を含むとすれば、『言葉と物』は社会学的な思考が歴史の一時期に位置づけられてしまった本である。大袈裟な言い方をすれば、フーコーが規定した社会学的思考の条件を越えられなければ、未来の社会学も存在しないことになる。
  3. 『千のプラトー』(ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ 河出書房新社 1994) とにかく凄い本である。初期の社会学が孕んでいた野蛮な可能性のすべてを、この哲学書が実現してしまった。わたしの乏しい読書経験の範囲で言えば、社会学の中ではロバート・K・マートンの『社会理論と社会構造』が一冊の本としては最も優れた道具箱だったが、それを凌駕する桁外れの本! 例えば、「言語学の公準」と題された賞の数十頁だけでも言語をめぐる既存の思想や科学の流れを刷新するだけの力を持っている。ちなみに「言語学の公準」を読むための参考書を幾つか挙げておけば、『言語と行為』(J・L・オースティン 大修館書店)、『一般言語学の諸問題』(エミール・バンヴェニスト みすず書房)、『知の考古学』(ミシェル・フーコー 河出文庫)である。
  4. 『根源の彼方へ/グラマトロジーについて』(ジャック・デリダ 現代思潮新社 1984) 流行語にもなった「脱構築」(英語読みで「ディコンストラクション」と呼ばれるが、原語は「デコンストゥリュクシオン」という、ちょっと舌がもつれそうな名称)という概念は、この本から出現した。言い換えるなら、この本を読まないうちは「脱構築」などと口が裂けても言ってはならない。ただし、簡単に読破できるほど易しい本ではない。むしろもの凄く難解な本であり、おまけに桁外れに読みにくい。慣れればそれほどでもないが、デリダの文章はかなり読者を選んでしまうのだ。今にしてみれば遊びが過ぎる文体に難があるのだが、それだけでなく、事前の予備知識をかなり必要とするため、相応に研鑽を積んだ大学生であっても一人で読破するのは大変だろう。ただし文意を捉えることができるようになると、物凄く面白くなってゆく。初期のデリダは暗くて、危険で、とてもスリリングだったのだ‥‥。
  5. 『恋する虜』(ジャン・ジュネ 人文書院 1994) ジュネの遺作。そして、たぶん最高傑作。何の前提もなく、これだけを読むと、おそらく何が何だか全然わからない。だから一度、途中で挫折してみること。そしてパレスチナ問題を扱った新書サイズの本を数冊買い込んで来て、それらを全部読んでから、もう一度『恋する虜』を噛みしめるように読んでみよう。さらにもう一度はじめから読み返す。そうすれば、この本の真価が身に染みて分かり、生涯手離せない書物となるかもしれない。近年、『シャティーラの四時間』という、『恋する虜』と対をなす小品もようやく単行本化されたので、併せて読んでいただきたい。
  6. 『過程と実在(上・下)』(ホワイトヘッド 松籟社 上・1984/下・1985) ホワイトヘッド自身は表の哲学史の伝統を標榜しているが、どう考えても裏の哲学史に属してしまう人である。表の系譜の代表格がプラトン、トマス、デカルト、カント、ヘーゲルだとすれば、裏の系譜の代表格はパルメニデス、ドゥンス・スコトゥス、スピノザ、ライプニッツ、ニーチェなどである。『過程と実在』の内容が最も近いのは、おそらくスピノザの『エチカ』ではないだろうか。それら二つの大著はいずれもパルメニデスの「一」を動かすことを原理的な水準で試みたと言うことが出来る。
  7. 『ゼノン4つの逆理』(山川偉也 講談社 1996) パルメニデスの弟子にあたるのが、エレア派のゼノン。「エレア派の」と付けるのは、同じくらい有名な同名の哲学者がいるため(ストア派のゼノン)。エレア派のゼノンは、あのゼノンのパラドクスで有名な人である。私が読んだ本のうち、ゼノンのパラドクスの内容とその可能性を最も深い水準で解明した本がこれである。参考文献としてはプラトンの『パルメニデス』が最適だろうし、また時間があれば、ベルクソンの『時間と自由』や『物質と記憶』なども併せて読んでみよう。彼がゼノンを批判すればするほど、逆にエレア派の思想に近づいてゆくのが分かるはず。
  8. 『ニーチェと悪循環』(ピエール・クロソウスキー 哲学書房 1989) 膨大な数にのぼるニーチェ研究の中の最高峰であると同時に最難関の本がこれ。ハイデガーの『ニーチェ』やドゥルーズの『ニーチェと哲学』さえ明快に過ぎると感じられる超弩級の思想書だが、分かりにくい理由はニーチェにあるよりも、むしろクロソウスキーにある。彼の本に立ち向かう度に、まだ私はキリスト教が分からないと思うし、クロソウスキーが分からないうちはキリスト教の深みが見えていないと考えてしまう。扱われているテーマはニーチェの人生と思想とを一方を他方に還元することなく正確に重ね合わせることである。ニーチェが絡んでいるので、難解と言われながらもこの本はそれでも分かり易かった。
    ニーチェの怪しい波動が渦巻く二〇世紀前半の思想については多くの研究書があるが、とりわけマックス・ウェーバーとの関係を論じたものとして『社会科学の現在』(山之内靖 未来社)に注目したい。
  9. 『啓蒙の弁証法』(ホルクハイマー=アドルノ 岩波文庫 2007年) 言わずと知れた「隠れた名著」であることによって有名になり過ぎた本である。実際、同時代にファシズムの本質をあそこまで突いた点は見事だろう。しかし、そんな骨董趣味で済むなら、いっそ読まない方がよい。そして、どうせ読むのなら、ホルクハイマー=アドルノの「啓蒙」概念とウェーバーの「脱呪術化」を比較してみるといい。さらには『不死のワンダーランド』(西谷修 青土社)を読み、ウェーバーやアドルノ、ハイデガーなどドイツ産の思想をレヴィナス、バタイユ、ブランショなどのフランス産の思想に繋げて考え、再び20世紀の怪物ども(ファシズム、世界戦争、等々)をじっくり考察してみるのもよい。
  10. 『生と死の自然史』(ニック・レーン 東海大学出版会 2006) 続編の『ミトコンドリアが進化を決めた』、『生命の跳躍』、『生命、エネルギー、進化』(いずれもみすず書房)も素晴らしく、どれから読んでも得るものは大きい。基本的に省略をせず、丁寧に説明してくれる本なので、逆に読みとばすことができず、遅々と読み進めるしかないタイプの本だ。フォーティの『生命40億年全史』や、と併せて、雄大な生命の歴史に圧倒されてほしい。ダーウィンの『種の起源』(岩波文庫)や『人間の由来』(講談社学術文庫)の二一世紀版を満喫したいなら、フォーティとレーンを読破するのが一番だ。もっと新しいところでは『生物はなぜ誕生したのか』(ピーター・ウォード&ジョセフ・カーシュヴィンク 河出書房新社)がよい。

(5) 先生の代表的な著書または論文を二つか三つ教えてください。

    2016年に発表した二冊の本は、それぞれ独立した内容だが、本人の中で対をなしている。
  1. 『絶滅の地球誌』(講談社選書メチエ 2016) 世界の現在と人類の未来を展望するためのやや厚めのガイドブック。問題のスケールが大き過ぎると感じられるかもしれないが、真に必要な「一般教養」は、この本で扱った問題圏に飛び込むところから始まるのではないだろうか。帯の「全地球人、必読の書!」というあおり文句はやや大げさに感じられるかもしれないが、執筆時はマジでそう思っていた。
    諸君には、「今」が人類にとっての岐路なのだと、危機感を以て社会学を学んでほしい。
    実際、人間は大丈夫なのか?
  2. 『起死回生の読書!』(言視 2016年) 書物は文化の精髄というだけでなく、それぞれが異なる角度から世界に開かれた窓でもある。読書離れが文化の終わりを予感させるとしたら、読書の復権は文化の擁護につながるだけでなく、人間の活動を未来につなげていく営みになるはずだ。
    言い換えるなら、自分の未来を真剣に考えられるなら、社会や人類の未来についても想いを馳せられるようになるだろう。本とは、そのためのサプリメントのようなものだ。

    以上の2冊はギリギリで絶望を回避するための本である。
    つづいて論文を二点ばかり挙げさせてもらおう。
  3. 「ペニュルティエーム」(『思想』vol.994 2007年2月号 岩波書店)
  4. 「セックス1~4」(『思想』2010年10月号、11月号、2011年1月号、2月号) 「ペニュルティエーム」というタイトルを聞いて、「??」と思われるかもしれないが、フランス語で「最後から二番目」を意味する語であり、はじめから「最後から二番目」に位置することを運命づけられた論文である。内容は危険な匂いのする世界、いわば思想の怪しいエンタテイメントへの入り口になっている。なお、末尾に次のような注意書きがある。「サドッホは三人から成る一つのユニットである。個別の氏名を列挙することは便宜上の理由でしかないし、その順番も五十音、アルファベット、年齢、出生地の北緯の高さどれを取ってもこの順になるといった程度の重みしか持たない」。
    つづく「セックス」は、計4本の論文から成る。ペニュルティエームに対する「最終(ウルティム)」、つまり本当の最後に来る作品であり、それゆえゲームの体制が根本から変わる。シリーズの内訳は、
    (1)「力への意志」
    (2)「食、性、死」
    (3)「婚姻と倒錯」
    (4)「I am a bird now」
    である。発生学は従来、遺伝学に比して哲学的もしくは形而上学的と誹られる傾向にあり、場合によっては時代後れの遺物と見なされることもあった。しかし、ヒトゲノムの解析が完了してからは、むしろ「発生」への揺り戻しが予想以上に激しい。「分子の濃度勾配」などが典型となるが、今や体内の物質の連続量が環境を構成する気温や酸素濃度、風向きなどの度合いに絡み合いながら、発生のスイッチをオン・オフすることがわかっている。「濃度勾配」の概念は、種々の分子量の連続的変化とその閾を含意しており、発生から代謝、呼吸にいたるまで、生命活動の全領域をつらぬいてゆく。