明治学院大学社会学部MENU

安井 大輔 専任講師(専攻 エスニシティ論、食の社会学)

(1) 社会学とはどのような学問とお考えですか。

社会学と聞いて、中学・高校で教えられている地理・歴史(世界史・日本史)・公民(現代社会・倫理・政治経済)といった社会科科目を想像するかもしれません。政治学・法学・経済学・経営学はこうした科目の延長としてイメージが浮かびやすいでしょう。では大学における社会科学の一部門とされる社会学はどうでしょうか。社会学は漠然としていて、何をどうすることか把握しにくいかもしれません。

ですが社会学には独自の方法があり、さまざまな社会問題にくわえて、日常生活におけるさまざまな対象を「社会学的」に見ることができます。社会学の対象は、友人、家族、学校、SNS、会社、地方自治体、国家、世界などミクロ・マクロな規模の集団であり、自己、理念、階層、コミュニケーション、態度、システムなど理論的・抽象的な概念......と人間と人間のあらゆる関係(そして人間以外との関係)を含む非常に広い範囲に及びます。社会学は世の中のあらゆるものごと・できごとを対象にします。ですが、なにより重要なのは社会学的な見方です。何を対象にしてもいいのですが、社会学的な見方を身につけないと、その対象をあつかっても社会学にはなりません。逆にこの見方を身につけると何を対象にしても社会学になるのです。

では、社会学的な見方とはどのようなものなのでしょうか。ここが、それぞれの先生によって少しずつ異なるところになると思います(この冊子の質問が「社会学とは何か」ではなく「社会学とはどのような学問か」という問いかけになっていることもまた社会学的な問いかけと言えるかもしれません)。僕としては、さまざまな対象をとらえる自他の視点を「変化」させようとする見方と考えています。対象から離れて距離を取る、より近づいて中に入る、自分たちと異なる社会と比較する、長期的な時間の流れに置いてみる、といった方法が社会学には用意されています。これらの方法を通して、個々人の認識だけではとらえられなかった「社会」をつかもうとするのが社会学の基本的なスタンスだと思います。

そのなかで、あなたが当たり前だと思っていた「常識」をくつがえされるかもしれませんし、逆に常識の精緻さを再確認することになるかもしれません。そもそも見えていなかった何らかの「対象」や「概念」が姿を表してくるかもしれません。しかし、いずれにしても社会学を知る前と後では、世の中の見え方は異なっているはずです。以前とは異なる見方を身につけると、自分自身や周囲に対する考え方も変わってくるでしょう。こうした変容は人によっては居心地の悪いことかもしれません。でもそれは同時に自己と社会を再考する契機でもあります。当たり前が当たり前でなくなる居心地の悪さと向き合いつつ、自分自身も一部である社会を調べ分析し新しい社会を考えることが社会学の始まりです。認識の変化は現実への働きかけに転換し、社会の変化はさらに人びとの意識を変容させます。このような個人と社会の相互フィードバックに対して、ときにその「外部」から、ときにその深奥から、人間と社会の変化を見いだす/考える/もたらすこと、これこそが社会学の学問としての姿勢ではないかと考えています。

(2) 先生が専攻されている、あるいは、この大学で学生に教えられている社会学とはどのような学問ですか。

僕はエスニシティ論を担当します。エスニシティとは、英語の形容詞ethnicの名詞形で日本語ではもっぱら民族的、異国風と訳されます。ですが、旧来の民族という言葉にそのまま置き換えられるわけではない新しい概念です。エスニシティの定義は研究者の数ほどあると言われるほど多く、複雑かつ曖昧な部分のある言葉ですが、現代の世界情勢や多元化する社会を理解する上での鍵概念となっています。

「誰々が○○人だ」という場合、その属性は何によって決まるのでしょうか。国籍、血筋、生まれ育った場所、身につけている文化......「○○人であること」はこれらの組み合わせや取捨選択によってできており、それは時代や場所によって変化します。思われているほど自明でも強固でもないのに、自明で強固だと思われがちな「○○人であるということ」。エスニシティ論は、こうした集団への帰属や自己意識が、いかにして生まれ/作られ、リアリティを持ち人間を拘束するとともに活性化するのかを課題とします。

エスニシティが社会学的に重要なのは、近代国民国家の思想や制度とセットだということです。つまり、民族はnationの訳語でもありますが、こちらの民族は人びとを国家に統合するための国民としての同一性を主張するものです。国民化の過程は同時に支配的な価値観・文化に同一化しない/されない集団を作り出すプロセスでもあり、そこで主流とは異なる存在とされた人びと(先住民、移民、難民、外国人、種々のマイノリティなど)の文化や動態をとらえようとするのがエスニシティ研究の基本的なスタンスです。

そして政治と文化の文脈で変奏されるナショナリズムとエスニシティの関係を、食をてがかりに考えるのが僕の主な研究テーマになります。(ここでいう食は、たんに自分たちのものと異なる食べ物・食べ方というだけでなく、それを作り消費する人びとの行為、食べ方を規定する規範、生産流通のシステムまでを含む広い範囲を想定してください)グローバル化のなかのエスニック集団である移民の食事には、出身国・地域の食文化と移住先の国・地域の食文化があらわれていますが、それだけでなく、それぞれの国・地域の非対称な接触に始まる歴史過程、他のエスニック集団との相互作用、マクロ・ミクロな政治・社会的資源の動員などさまざまな要素が反映されています。こうした諸力の交錯するアリーナとしての食からエスニシティ、そして社会を考えようとしています。

またエスニシティと同じく差異化の指標となる社会階層についても研究を続けています。

 

(3) 1~2年次で読んで欲しい本

  1. 『新版 論文の教室――レポートから卒論まで』(戸田山和久 NHK出版 2012) 大学でみなさんが書くことになるレポートは、高校までの作文や感想文とは異なるものですが、その書き方をきっちり学ぶ機会は実は少ないのです。この本は、何も知らない作文ヘタ夫君が一から論文を作り上げるまでを、爆笑必死のたとえを用いながら説明してくれます。論文やレポートの書き方を教える本はほかにもいろいろありますが、個人的には『論文作法――調査・研究・執筆の技術と手順』(ウンベルト・エーコ 而立書房 1991)『ベッカー先生の論文教室』(ハワード・S・ベッカー 慶応義塾大学出版会 2012)もおすすめです。
  2. 『難解な本を読む技術』(高田明典 光文社新書 2009) 大学の演習では「レジュメを作る」ということをします。レジュメとは読んだ本の内容を要約してまとめ他の受講者や教員の前で発表するための印刷資料のことです。演習では課題本をせっせと読んでもらうことになります。なかにはこれまでなじみのない難しいものも多いでしょう。「予習でわからなかったことを解決する」ために授業があるのですが、何がわからなかったのかもわからないということもあります。本書はそうしたいわゆる難解本をいかに読み、どのようにレジュメを作ればいいのかを把握する参考になります。難解な本の読み方にもいくつかスタイルがあり、一歩ずつ読み進める方法、先に全体を把握してからもう一度再読する方法など、本のパターンによって使い分けたほうがいいです。読書ノートの取り方など具体的な例も多く、自分でもやりたくなったらしめたものです。
  3. 『理系のための口頭発表術――聴衆を魅了する20の原則』(R.H.R. アンホルト 講談社ブルーバックス 2008) プレゼンテーションのための考え方と実際の技術について面白おかしく教えてくれるのが本書です。「理系の」と銘打たれ生命科学の知識を前提とした事例も多いですが、本書で説かれていることは「文系」でも十分通用します。発表準備の段階から表・グラフ・図など各種スライドの見せ方、話し方のコツまでユーモア漂う豊富な具体例と絶妙な筆致で親切丁寧に解説されています。しかし本書の狙いはただのテクニックの伝授にはとどまりません。なぜなら学問における発表の技術とは、他者の理解をうながすためのノウハウというよりむしろ、自己の混沌とした思考をいかにして整理し、知的興奮をかき立てる「物語」へと変貌させるか、という論理的思考の鍛錬なのですから。
  4. 『論理が伝わる世界標準の「書く技術」』(倉島保美 講談社ブルーバックス 2012) レポート、レジュメ、プレゼン、すべて必要な情報を読者にきちんと伝える必要があります。本書は英語の文章作成で必須とされるパラグラフ・ライティンングの技法を日本語でも使えるように分かりやすく指導・紹介してくれます。なお本書自体もパラグラフ・ライティングで書かれていますので、その真価が体感できます。
  5. 『社会学に何ができるか』(奥村隆編 八千代出版 1997) 教科書や講義では「社会学は通念に逆らい常識を問い直す学問」とよく説明されます。ですが、それが何になるというのでしょうか。当たり前が当たり前でなくなること自体は面白いですが、社会学の意義は面白さだけでは不十分です。なぜ当たり前を当たり前でなくならせる必要があるのか、という点こそが重要です。社会学という道具を用いて「社会」を取りだすことができるとどんな「いいこと」があるのかという観点から、本書は書かれています。自分、儀礼、会話、ジェンダー、権力、歴史、装置としての文化、世界を対象に、道具としての社会学の使い勝手が堪能できます。
  6. 『学歴・競争・人生――10代のいま知っておくべきこと』(吉川徹・中村高康 日本図書センター 2012) みなさんのほとんどは大卒層という階層に属することになるはずですが、いっぽう大学に行かない人びとのことをどれだけ知っているでしょうか。日本社会を学歴でみれば大卒層と非大卒層(大半は高卒層)から構成されていますが、双方が異なる文化を再生産しており、そこから格差が生まれている学歴分断社会でもあります。階層という観点から大卒中心主義を相対化し、自分たちの立ち位置とそれを踏まえたうえでの社会のありさまを考えてみてください。
  7. 『ブエノス・ディアス、ニッポン――外国人が生きる「もうひとつのニッポン」』(ななころびやおき ラティーナ 2005) 在留外国人がかかわる法律の問題について、現役弁護士が自身の携わった事件の体験をつづったものです。「外国人」をめぐる社会情勢、法律や行政による取り扱い(とその問題)も詳しく書かれているのですが、本書にはなによりも、片道のチケットを握りしめて海を渡り、日本の片隅でたくましく生きる彼女ら彼らに対するどん欲な生への情熱とユーモアに彩られたひとりひとりの「物語」があふれています。在日外国人に関心のない人にこそ読んでほしい一冊です。
  8. 『それでも日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子 朝日出版社 2009) なぜ日本は世界を相手にあんな無茶な戦争を始めたのでしょうか。70年以上後から考えれば、当時の日本人たちが愚かだったといえるかもしれません。しかし、あなたが仕事がブラックバイトしかないワープアで、満洲に行けばまともな暮らしが出来るかもしれないと言われたらどうでしょうか。当時の人々のように「満蒙に行こう」と選択したかもしれません(それが当時の中国の人びとにとってどのようなことなのか想像せずに)。この本では日清・日露から太平洋戦争にまでいたる、近代日本の戦争について、国際関係のなかで、どこが、誰が、何が、どう働いて「戦争」という選択がなされたのかを丁寧によりわけ、また大きく統合して説明してくれます。もう一つのありえたかもしれない戦争やありえなかったかもしれない平和を考え、そしてこれからの戦争を想像するためにも、読んでみてほしいです。
  9. 『エスノグラフィー・ガイドブック――現代世界を複眼でみる』(松田素二・川田牧人編 嵯峨野書院 2002)【絶版】 自分たちと異なった文化を記述・記録のやり方のひとつに、エスノグラフィー(民族誌)という方法があります。異なった文化というとどこか遠くの外国の文化習俗を想像するかもしれませんが、性、年齢、国籍、民族、その他多様な属性の人びとが同じ空間に共存する現代は、社会のいたるところに異文化が存在します。さらに国境を越えて移動する人々の増大によって、異なる文化との接触が恒常化し、複数の異文化が共に在ることが当たり前の時代となっています。現代世界で進行する現象にリンクする「異文化」に自ら飛び込み感じ思い考えたエスノグラフィーの数々を紹介する書評集です。103冊の力作からエスノグラフィーの世界を体感してみてください。(残念ながら絶版なので図書館や古書店で探してみて下さい)
  10. 『ワードマップ エスノメソドロジー――人びとの実践から学ぶ』(前田泰樹ほか編 新曜社 2007) 社会学では「当たり前」や「常識」を疑ったり確認したりすることが重要ですが、そもそも当たり前であるとはどのようなことから成り立っているのかを追求するエスノメソドロジー(EM)という分野があります。人びと(エスノ)が当たり前に行っていること=実践の方法(メソッド)を学ぶ研究分野のもっともわかりやすい入門的概説書です。社会学における「方法」を考えるうえで多くの示唆を与えてくれます。EM研究の具体例を知りたい方は『概念分析の社会学――社会的経験と人間の科学』(酒井泰斗ほか編 ナカニシヤ出版 2009)『概念分析の社会学2――実践の社会的倫理』(酒井泰斗ほか編 ナカニシヤ出版 2016)をどうぞ。

(4) 3~4年次で読んで欲しい本

  1. 『定本 想像の共同体――ナショナリズムの起源と流行』(ベネディクト・アンダーソン 書籍工房早山 1983=2007) 本書を踏まえたうえで、あらゆるナショナリズム論があるといってもいい古典です。インドネシア研究者であった著者は「国民」というのは社会的・政治的実体ではなくて、近代以降に現われた概念であるにもかかわらず、原始以来の宗教共同体にも通じる「イメージとして心に描かれた何か」が凝集した「想像の共同体」ではないかとみて、ナショナリズムが形をもって拡大したのには、出版資本主義が関与していたと指摘します。そして国民という概念が当然となっていく過程を、起源を南北アメリカにもち、ヨーロッパでの公定化を経て、東南アジアで発展していく流れを、植民地の歴史をたどりながら、さまざまな観点から論証していきます。著者個人について知りたかったら、若者向けに人生と彼にとっての学問を語る『ヤシガラ椀の外へ』(NTT出版 2009)も合わせてどうぞ。
  2. 『ディスタンクシオンⅠ・Ⅱ』(ピエール・ブルデュー 藤原書店 1979=1990) お金持ちと貧乏人は所得だけでなく考え方、ライフスタイルまで異なる。という、みな何となく知ってはいるけれど口には出さないことを膨大なデータで実証した大著です。経済的な要素でなく、趣味、感性、身ぶりといった文化的な行為の緻密な分析で明らかにされていく階級(の壁、そしてその再生産)の姿に圧倒されてください。
  3. 『[決定版]ナチスのキッチン』(藤原辰史 共和国 2016) 食生活という人間の最も基本的な営為に即して、ナチスの思想と人びとの関係を描き出したものです。20世紀前半のドイツのキッチンとレシピを舞台にした歴史研究であり、その時期に具現化した効率最優先のテイラー主義が現代にもたらす食の貧困を考察しています。
  4. 『築地』(テオドル・ベスター 木楽舎 2004=2007) 世界最大の魚市場である東京卸売市場・築地魚河岸で展開される経済活動を分析した研究書です。築地市場のシステムからそこに出入りする個々人まで多角的な視点で取材・分析し、築地の全貌が明らかにされます。魚市場という場所における経済的動態が、経済的合理性だけに還元できない歴史的・文化的要因がいかに絡み合って成り立っているのかがわかります。
  5. 『なぜふつうに食べられないのか――拒食と過食の文化人類学』(磯野真穂 春秋社 2014) 「ふつうに食べる」とは、どのような行為なのでしょうか。この問いに対して、逆に「ふつうに食べる」ことができない、すなわち摂食障害(拒食症・過食症)当事者の体験を通じて答えようと試みたのが本書です。当事者たちへのインタビューをもとに、食べられないことを通じて、「食べること」のふつうでなさ、食を支える身体化された知識と技術の精巧な仕組み、そして食と人びととの紐帯が照射されます。
  6. 『ホワイト・ネイション――ネオ・ナショナリズム批判』(ガッサン・ハージ 平凡社 1998=2003)【絶版】 ナショナリズムに反対するはずの多文化主義のなかに潜む白人(男性)中心主義をあぶりだします。人類学者によるオーストラリア社会の分析ですが、本書で論じられる無意識的な白人優越主義はそのままアジアにおける日本人優越主義と置き換えることができます。日本における多文化共生についての言説やレイシズム(人種差別主義)を世界で展開中のネオリベラリズムとの関係で比較検討するために必須の一冊です。本書で提起された問題を共有できたら、ハージの次著『希望の分配メカニズム――パラノイア・ナショナリズム批判』(御茶ノ水書房 2008)に進みましょう。(『ホワイト・ネイション』は絶版のため図書館でどうぞ)
  7. 『日本を再発明する――時間・空間・ネイション』(テッサ・モーリス=スズキ 以文社 1995=2014) 異文化、異なる存在について考えることは、究極的には自分たち、自文化を考え直すことです。辺境という視点から考えることで中心にいては見えなかった社会の姿がかえって見えてくるかもしれません。知っているようで実は知らない日本国民、日本文化という「発明」をときほぐしてくれます。
  8. 『顔の見えない定住化――日系ブラジル人と国家・市場・移民ネットワーク』(梶田孝道ほか 名古屋大学出版会 2005) 1990年代に急速に増加した日系ブラジル人のデカセギが、日本の製造業における労働の二重構造とリンクして起こっていたことを実証的に明らかにしています。日本の移民研究に欠けがちな理論を補ってくれる重要な研究です。多文化化のなかで求められる「対話」を可能にする前提がいかにして難しい構造となっているのかがよくわかります。
  9. 『日常人類学宣言!――生活世界の深層へ/から』(松田素二 世界思想社 2009) 僕の先生の本です。「社会」が断片化された諸個人に分断された現代世界で、どうやって人びとが連帯や共同性をつくりあげることができるのか。それは、時に抑圧的にもなる共同体への回帰でなく、いかにして私的な自己の生の実存を担保しつつ公共的連帯を実践するのかという困難な問いです。この社会学における大問題に対して、現代アフリカにおける長年の参与観察にもとづき、「日常」と「生活」から迫っていく論文集です。マクロな統計でみる社会と重なりつつも別個に展開される生活世界から閉塞する現状へのブレイクスルーを導く宣言でもあります。

(5) 先生の代表的な著書または論文を二つか三つ教えてください。

    著書
  1. 『コンタクト・ゾーンの人文学 第Ⅱ巻──Material Culture/物質文化』(田中雅一・稲葉穣編 晃洋書房 2011) 「第七章 コンタクト・ゾーンにおける食文化の表象」を担当しました。
  2. 『沖縄らしさの社会学――多文化接触領域のエスニシティ』(安井大輔 晃洋書房 2017) 横浜市鶴見区の沖縄移民のコミュニティを舞台にモデル化の実験を試みた社会学的論考です。同郷組織、
    祭り、食実践を対象に、文化の「恒常性」と「開放性」の交錯を分析しました。
  3. 論文
  4. 「多文化混交地域のマイノリティ─接触領域の食からみるエスニシティ─」 『ソシオロジ』57巻2号(第175号)、pp.55-71、2012年10月31日
    http://doi.org/10.14959/soshioroji.57.2_55
  5. 「グローバル・シティと賃金の不平等─産業・職業・地域─」(Miloš DEBNÁR、太郎丸博との共著) 『社会学評論』64巻2号(第254号)、pp.152-168、2013年9月30日
    http://doi.org/10.4057/jsr.64.152
  6. 「大卒女性における専攻間賃金格差の分析―理工系出身女性の賃金抑制要因に注目して―」(山本耕平との共著) 『ソシオロジ』61巻1号(第186号)、pp.63-81、2016年6月30日
    http://doi.org/10.14959/soshioroji.61.1_63
  7. 研究関係の仕事は、以下のWEBページで更新しています。公開可能な論文等はアップロードしてありますので、関心がありましたらどうぞこちらをご確認下さい。
    http://researchmap.jp/read0155942/