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野沢 慎司 教授 (専攻 家族社会学、社会的ネットワーク論)

(1) 社会学とはどのような学問とお考えですか。

社会学とは何なのか。この問いに簡単に答えることは至難の業です。結局のところ、人を煙に巻くようなわかりにくい文章にならざるをえません。社会学の世界は、絶え間ない領土の拡張を繰り返し、至る所に支流や淀みが形成されているうえ、他の知的世界の営みとも連続しているためだ、と言い訳しておきましょう。

しかし、なぜ社会学をやるのかといわれれば、おもしろいからという点に尽きます。社会学研究を飯の種にするのでない限り、社会学が直接役に立つと思えることは少ないかもしれません。社会学を専攻すると就職に有利な「一般常識」を身につけられると思いこんでいる人もいるかもしれません。それはまったくの見当違いとは言いませんが、そう考えてしまうと社会学の本当のおもしろさに出会えなくなってしまう心配があります。もちろん社会学の世界にも「常識」はあるし(それは常に塗り替えられる運命にあるのですが)、また社会に関する常識の形成の一翼を社会学者が担っていることも否定できません。にもかかわらず、学生の皆さんが社会学をやる意味があるとすると、それはむしろ私たちが常識ではとても理解できないと思える社会現象や、あまりに常識的で「自然な」ことなのでことさら理解する必要もないと思える社会の断面に疑問を差し挟み、独自の仕方で理解可能にする「おもしろさ」を体験する点にあります。別な言い方をすると、社会学のおもしろさは、社会の「常識」のなかにいつのまにか織り込まれてしまっている自分の視点を社会的現実の外側に移動させて眺めるような、少々斜に構えた皮肉っぽさと関連しているのです。少し社会学を学んでいくと、なぜそんなことが起こるのか簡単には答えの出ない問題がいかに多いか、つまり社会がいかに多くの謎に満ちた「おもしろい」世界であるかに気づくことでしょう。

ただし、どんな視点を、あるいはどんな社会現象をおもしろいと感じるかには個人差があります。だから、自分にとっておもしろい社会学を探すことが大切です。それを発見するための入り口は無数にあります(例えばこの後で紹介する本)。そして、さらにしばらく社会学の世界に浸ってみると、自分というものがずいぶんと違って見えてくることになるはずです。意外にも、社会学は自分の真の姿を見るためのマジック・ミラーなのかもしれません。その意味では、自分の人生(遭遇する出来事や出会う人々)こそが「社会学する」ためのもっとも重要なフィールド(現場)だと言えます。そう考えてくると、社会学ほど生きていく上で役に立つ学問はない、とも思えてくるのです。

さあ、まずはひとつふたつ入り口を見つけて、この鏡の国への冒険に乗り出しましょう!

(2) 先生が専攻されている、あるいは、この大学で学生に教えられている社会学とはどのような学問ですか。

家族という現象を、社会的ネットワークという観点から分析していくことのおもしろさにはまっています。家族のなかの人間関係は、それだけを取り出して研究されがちですが、家族のかたちは、それをとりまく近隣や職場の人間関係や親族・友人関係のありようと相互浸透しています。人間関係のネットワーク構造に着目してみると、戦後の高度経済成長、都市化などの社会変動と家族やコミュニティの変容との関連が見えてきます。最近は、日本で初めてのステップファミリー(親の再婚を経験した子どもがいる家族)の研究に携わり、そのパートナー関係、親子関係、継親子関係、別居している親子の関係、元配偶者との関係、およびそれを取り巻く多様で複雑な親族・非親族の関係ネットワークに眼を向けることが、現代における「家族」のあり方を再考することにつながると考えています。21世紀を迎えた現在、私たちの人生は、離婚や再婚の増加をはじめとして、20世紀後半に一般化した標準的なコースとは異なる多様な道筋をたどる傾向を強めているからです。さらに最近は、社会学部が推進している「内なる国際化」プロジェクトとの関連で、国境を越えて移動する家族の経験についても関心を拡げています。そのようなグローバル化の中の家族変容も現代における重要なテーマとなってきています。

(3) 1~2年次で読んで欲しい本

  1. 脱常識の社会学-社会の読み方入門』(ランドル・コリンズ 岩波書店 1992[第二版 岩波現代文庫 2013]) 「どんな学問も次の二つのことをめざさなければならない。すなわち、明快であること、そして当たり前でないこと」と書き出され、社会学上の主要な5つのテーマを巡って脱常識的な社会学的分析のおもしろさを披露する。
  2. 知的複眼思考法』(苅谷剛彦 1996 講談社 [講談社+α文庫 2002]) 社会学の学生向けに、批判的な読書の仕方、問いの立て方など、論文・レポートを書く際に不可欠な思考法を明快に解説する。常識やステレオタイプ的な思考から脱し、知的自立をめざすための手引き。ゼミを選ぶ前に一度は読んでおきたい。
  3. 『公園デビュー-母たちのオキテ』(本山ちさと 1998 DHC [学陽文庫 1998]) 自らの「公園デビュー」体験を綴ったエッセイ。著者は、あたかも参与観察を実践している社会調査者のように、自らの日常的体験を客観的に眺め、疑問を発見し、考察を加えていく。そのやり方はきわめて社会学的である。自分の幼い子どもを連れて近所の公園に出かけた著者は母親同士の小集団(ハハ族)に遭遇する。公園に通うようになり、次第にこの「ハハ族」の一員となっていくと、その集団の内部にはつきあい方の「オキテ」(社会学の用語で言えば「規範」)があり、メンバー間にも「序列」があることに気づいてゆく。他の母親グループや外国人、孫を連れたおばあちゃん、ホームレスの人たちがその公園に出現したときにハハ族がどのような反応を示すのかが観察され、異質な人との接触が回避される様子が描かれる。社会学者でも人類学者でもない著者が、自らの体験と思考を客観的に綴ったこの本は、社会学的思考とフィールドワークのおもしろさ(つまり自分の経験を相対化するおもしろさ)が私たちのすぐそばにあることを教えてくれる。絶版になってしまったが、今でも学生諸君に読んでほしい本である。
  4. いじめの構造-なぜ人が怪物になるのか』(内藤朝雄 講談社現代新書 2009) 繰り返しマスメディアを賑わす、いじめによる子どもの自殺事件。いじめ問題に対する識者の常識的な原因論と処方箋-秩序が失われた学校に秩序を取り戻し、道徳観念が失われた子どもたちに人間関係の大切さなどの道徳観念を注入すればよいなど-は的外れであると著者は論じる。著者の考えにしたがえば、生徒たちの間にベタベタした人間関係が生じ、「ノリは神聖にしておかすべからず」という強力な道徳的秩序/規範が生成しやすい閉鎖的学校空間こそがいじめの土壌となっている。神聖な学校という空間では、みんな仲よくしなければいけない。そのような「学校共同体主義イデオロギー」が暗黙の規範として支配する状況を、いじめの構造的要因と見る逆説的で脱常識的な著者の主張には社会学的な力がある。「学級制度廃止」という提案は一見非現実的に聞こえるが、私たちの思い込みを外して考えれば現実的な方策なのかもしれない。その考察は、私の専門とするネットワーク論の知見とも響き合う点が多く、学校以外の世界(家族、職場、そして上記の「公園のハハ族」の世界など)に生じる社会現象にも応用可能な構造的視点を含んでいる。
  5. 日本人のしつけは衰退したか-「教育する家族」のゆくえ』(広田照幸 講談社現代新書 1999) 青少年による凶悪犯罪や幼児虐待の事件が毎日のようにマスメディアにとりあげられるたびに、「昔の家庭(あるいは地域社会)はきちんとしたしつけを行っていた」のに、現代の「家庭の教育力は低下した」という常識的イメージを私たちは当然のように再確認する。しかし、教育社会学者である著者は、歴史的資料や古い社会調査データを引用しながらこの常識に挑戦する(そもそも少年による凶悪犯罪は本当に増えているかを疑う)。そして、むしろ「教育する家族」が社会全体に浸透し続けてきた近代日本の歴史を描き出す。その論理はきわめて社会学的だ。
  6. 』(長塚節 新潮文庫ほか) 作者の長塚が32歳だった明治43年(1910年)に東京朝日新聞に連載された長編小説。茨城県の貧しい農家の家族・地域生活を淡々と描いた作品。冒頭で主人公・勘次の妻が病死し、残された娘と幼い息子の3人が生き延びるために悪戦苦闘していく日々を精緻に描写してゆく。親子関係、親族関係、小作人と地主との関係などが織りなす日常生活には明るい側面がほとんどない。読み進めるのが楽しい作品ではないだろう。会話に出てくる、この時代の茨城弁を理解するのも難しいかもしれない(茨城県出身の私でもかなり苦労する)。現代の大学生が、文章から情景を思い浮かべるのも難しいかもしれない。しかし、当時の人口の大多数を占める貧しい庶民(農民)の家族生活、家族関係の具体的イメージをつかむ上ではやはり実に貴重な歴史的資料であり、苦労して読む価値がある。この作品の世界を想像しにくいのも無理はない。当時、東京に暮らす知識人であった夏目漱石(新聞連載を推したのが彼だ)にとっても、この小説に描かれる農民の生活世界は想像を超えるものだったようだ。当時の都市中間層と農民の間に大きな格差が存在したように、どの時代の家族にも多様性が存在するという事実を頭の片隅に置きつつ読み進めれば、「昔の家族はよかった」という単純な神話を簡単に信じるようなナイーブな学生ではなくなるだろう。そのための訓練としても、今この小説を読む(社会学的な)意味がある。
  7. 希望が丘の人々』(重松清 小学館 2009[講談社文庫2011]) 長塚節『』の100年後に書かれたこの小説を、それと並べて読んでみるとどうだろう。こちらも同じような年頃の娘と息子を残して妻が先立った後の父子家庭を描いている点が共通する。東京郊外のニュータウン(妻の出身地)に引っ越してきた父子3人が地域の人々と新たな関係を築いていくプロセスが描かれる(2016年にドラマ化されたが未見)。しかし、そこに登場する親子関係、祖父母と孫の関係、さらには亡き妻に対する感情の描かれ方に着目すると、情緒性などの点で『土』との差異が際立っている。物質的な生活水準の違いは言うまでもない。たった2つの家族事例であり、しかもフィクションの中の家族だが、1世紀という時を隔てて「家族」の何が変わったのかを考察する糸口としては大変刺激的である。この作品に限らず、現代の家族に社会学的な関心がある人にお薦めしたいのが重松清の小説である。重松清ほど、現代の多様な「家族」状況にこだわっている作家はいないだろう。例えば、『定年ゴジラ』(講談社文庫 2001)は、都心にある銀行を定年退職した主人公が、郊外ニュータウンの自宅近辺で毎日を過ごす生活に再適応しながら、「家族」と「コミュニティ」を再発見し、アイデンティティとネットワークを再生する物語。テレビドラマ化、漫画化もされた。彼の作品は、直木賞を取った短編集『ビタミンF』(新潮文庫 2003-これもテレビドラマ化された)や長編『流星ワゴン』(講談社文庫 2005-初版出版13年後の2015年になってテレビドラマ化された)など、現代の「ふつうの」父親たちが直面する抜き差しならない状況を描いたものが多い。思春期の子どもたちの決して明るくはない日常世界(『ナイフ』新潮文庫 2000、『エイジ』新潮文庫 2004)、ステップファミリーにおける家族関係と感情の複雑さ(『幼な子われらに生まれ』幻冬舎文庫 1999および上記の『流星ワゴン』)、ニュータウンに住む若い母親が公園デビューすることによって巻き込まれていく人間関係の難しさ(『送り火』文春文庫 2007 所収の短編「漂流記」)など、哀しく苦しい状況を描きながら絶望させず、希望を与えながら甘くは終わらない無数の家族物語は、社会学的想像力を喚起するための良質な素材である。
  8. 約束された場所で』(村上春樹 文藝春秋1998 [文春文庫 2001]) 私たちの理解を超えた出来事として社会を騒然とさせた「オウム」も次第に人々の意識のなかに沈殿しかかっている。あの村上春樹が(元)信者たちに直接インタビューしてオウム現象の意味に迫ろうとする。そして、「あの人たちは『エリートにもかかわらず』という文脈においてではなく、逆にエリートだからこそ、すっとあっちに行っちゃったんじゃないか」と指摘する。同じ著者による「地下鉄サリン事件」の被害者へのインタビュー集『アンダーグラウンド』(講談社文庫 1999)とあわせて、現代日本社会を考察するための貴重な材料を提供している。
  9. 「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』(森達也 角川文庫 2002)、『A3』(森達也 集英社インターナショナル 2010 [集英社文庫 2012])A』と『A2』は、映像作家でもある著者が監督したドキュメンタリー映画のタイトルである。森達也は、オウム真理教の内側に、村上春樹よりもはるかに深く入り込み、荒木浩に焦点をあててその行動とメディアなどの反応をつぶさに追いかけた映画『A』を撮った(1998年公開)。その後、さらに続編の『A2』を撮った(2001年公開)。上記の本『「A」』は、映画『A』撮影の過程で著者が体験したこと、それを基にして考察したことの記録だ。著者が次第にオウム事件とは何だったのかという深い問いにはまっていく過程、そしてそこから独自の視点をつかんでいく過程の記録だ。『A3』で著者は、オウム裁判のゆくえに深く関わりながら問いを発し続けることになる。膨大な時間とエネルギーをかけた映像作品(オウムの内側から社会を見た作品とも言えるだろう)と著作に目を通すと、これまでマスメディアというフィルターを通して私たちが情報処理して形作ってきた常識的解釈(正しい世界が悪い人々の集団によって危機に陥れられたが、それが適正に解決された)がまったく違って見えてくる。マスメディアが何をもたらしているか、法律や裁判などの司法とそれを作り変える政治の制度がどのように運用されているのか、そしてそれらの相互依存構造が私たちの常識をどのように規定し、社会の変容に対して決定的な影響を及ぼしているのかといった、社会学の根本に関わる夥しい数の問いをこちらに突きつけてくる作品群である。アジア太平洋戦争、東日本大震災と原発事故など、それ以前や以後に起きた大きな社会的事象にも同じことが言えるだろうと気づかせてくれる。日本のマスメディアや裁判制度が内包している構造的問題(リスク)をさらに詳しく知って驚愕したい人には、烏賀陽弘道『報道の脳死』(新潮新書 2012)や瀬木比呂志『絶望の裁判所』(講談社現代新書 2014)をお薦めしたい。
  10. 禅とオートバイ修理技術-価値の探究』(ロバート・M・パーシグ ハヤカワ文庫 2008)
  11. 2013年の特別研究期間に5ヶ月ほど滞在したニュージーランドのオークランド大学心理学科でホスト教員となってくれた臨床心理学者でステップファミリー研究者のクレア・カートライト先生ご夫妻とカフェでお話ししていたときのことだ。文脈は思い出せないが、「禅(Zen)」という言葉を口にした。それに対してクレアの夫(退職した元歯科医)のリチャードが「"Zen"という言葉で思い出すのはPirsigのZen and the Art of Motorcycle Maintenanceだな」と呟いた。それが1970年代中頃にアメリカで大ベストセラーとなった自伝的小説のタイトルだと知らなかった(ただし、出版に至るまでに121の出版社に出版を断られたという点でギネス記録を持つベストセラーらしい)。この本は日本ではさほど有名にはならなかったので、知らないのは私ばかりではないようだ。なかなかに気難しげなリチャードが、思いがけずクリスマスに原書ペーパーバック版をプレゼントしてくれた。少しずつ読み進めると、その独特の世界に惹きつけられた。主人公(=著者)が、11歳の息子を大型バイクの後部に乗せて米国中西部の荒々しい景色の中を延々と旅する物語と主人公の世界観、哲学をめぐる抽象的な議論が交互に展開する。それはいつの間にか、失われた記憶の回収と自己回復の旅へと変わり、大学とは何か、理系・文系の垣根を超えた知識・教養とは何かという問いを巡る神経的な闘いの場(その記憶)へと辿り着く。禅そのものが語られているわけではないが、オートバイのメンテ技術にも通じる《クオリティ》の追究に関する禅問答的な思考の世界が繰り広げられる。大学が否応なく急激に変質しつつある現代日本の大学生、いや大学教員にこそ読まれるべき書かもしれない。

(4) 3~4年次で読んで欲しい本

  1. 『都市の日本人』(ロナルド・ドーア 岩波書店 1962)
  2. 『日本の新中間階級-サラリーマンとその家族』(エズラ・ボーゲル 誠信書房 1968) ①と②はそれぞれ英国と米国の社会学者による古典的な日本研究モノグラフ。①は高度経済成長期以前の東京中心部における地域社会や家族生活を、②は高度成長の初期に東京郊外に台頭したサラリーマン家族の生活を、調査に基づいて詳細に描き出している。戦後の家族変動・社会変動の原点(原風景)がどのようなものだったかを教えてくれる。外国の読者向けに書かれたものだけに、当時の日本人にとって当たり前だったこともちゃんと記されており、その時代を知らない世代にとっては発見に満ちた貴重な歴史的資料となっている。
  3. 『近代家族の形成』(エドワード・ショーター 昭和堂 1987) さらに昔、近代以前の歴史的資料に基づきながら、現代の私たちが「自然だ」と感じる家族のあり方(恋愛結婚や母性愛)は決して普遍的なものではなく、近代という時代の産物であることを明快に主張した問題提起の書。自分の家族観を相対化するために有益な社会史にして近代家族論の代表作である。
  4. 故郷喪失者たち-近代化と日常意識』(ピーター・バーガーほか 新曜社 1977) 近代人の意識の特徴を「ホームレス・マインド」というキーワードで切ってみせ、近代人のアイデンティティが悩ましい状況に陥っていることを理論的に描き出す。バーガーたちに言わせると、都市化や官僚制の進展により、生活世界が私的世界と公的世界へと分裂し、さらにそれぞれが複数の生活世界へと分離した状況の中で生きる現代人は、メディアの発達によって情報やコミュニケーションの複数性にも晒され、アイデンティティの危機に直面している。つまり、「自分」を追求しつづけ「自分」を確定できないという特異なアイデンティティの持ち主になっているというのである。それが現代人の置かれているアイデンティティの「ホームレス」状況だ。自分の人生こそそれにあてはまると思うだろうか。それともバーガーらに何らかの反論ができるだろうか。
  5. 『日本人の生き方-現代における成熟のドラマ』(デイビッド・プラース 岩波書店 1985) 現代のふつうの熟年日本人4人にインタビューし、そこから浮かび上がるアイデンティティの「成熟」の軌跡を、4つの小説のストーリーに重ね合わせて読み解いていくライフコース論。著名なアメリカの人類学者・日本研究者によるこの職人芸的作品は、理論と事例を結びつけるひとつの方法論的モデルを示してくれてもいる。この日本語訳の序文で「成熟に関する原子論や素粒子論と同時に電磁場理論も必要である」と述べる著者には、相互作用論のみならず、ネットワーク分析的な構造論の風味も感じられる。
  6. 都市的体験-都市生活の社会心理学』(クロード・フィッシャー 未来社 1996) 都市的環境は、家族や親族の絆、友人や民族の絆、さらには心理的安寧にどんな影響を及ぼすのか。既存の理論と自らの「下位文化理論」を対置させ、夥しい経験的研究の成果に目配りしながらその優劣を検討していくかたちで書かれた都市社会学の教科書(原著第2版は1984年の出版)。理論的革新と実証的裏付けの双方を追究する研究姿勢に圧倒される。この本の主張の重要な論拠となっている同じ著者による北カリフォルニア調査の詳しい数量データ分析については、その後翻訳出版された『友人のあいだで暮らす-北カリフォルニアのパーソナル・ネットワーク』(フィッシャー 未来社 2002)を参照。こちらは、原著が1982年の出版で、今やパーソナル・ネットワーク研究の古典と呼んでもよいだろう。
  7. ネットワーク分析-何が行為を決定するか』(安田雪 新曜社 1997) 社会学のみならず人類学や心理学などの領域にまたがる「ネットワーク分析」の発想、方法論、研究成果をわかりやすく解説した入門書。人々の意識や行為に影響を与えている、見えない(人間関係の)構造を捉える道具としてのネットワーク、という視点は社会学的に大きな発展可能性を秘めている。同じ著者による続編『パーソナルネットワーク-人のつながりがもたらすもの』(新曜社 2011)もある。
  8. 離婚は家族を壊すか-20年後の子どもたちの証言』(コンスタンス・アーロンズ バベル・プレス 2006年) 著者は、アメリカで長く離婚・再婚研究に携わってきた社会学者・臨床家である。離婚家族を対象に行われた調査の20年後に、当時子どもだった対象者173人に再インタビューし、その大多数が成人後には親の離婚を肯定的に捉えていることを明らかにした研究の成果。親の離婚は子どもに長期的に深刻な影響を与えるという離婚の否定的な側面を強調する常識的イメージ(および先行研究)に対する実証的反論である。親の再婚後の家族(ステップファミリー)における子どもたちの経験についても詳しく取り上げられ、両親や継親との多様な関係史が描かれている。原著のタイトルは『私たちは今でも家族(We're Still Family)』であり、邦訳のタイトルにあるような「親の離婚によって家族は消滅する」という(現代日本に根強い)離婚家族観に対する強烈なアンチテーゼとなっている(この点、邦訳書名はややミスリーディングだ)。離婚後の両親による子どもの共同監護を前提とする法制度が普及したアメリカにおいて、離婚・再婚した両親は別居しているが、子どもは両親との関係を維持し続け、両親が親としての役割を果たし続けるネットワーク型家族として機能する可能性を支持している(核家族の核が分裂して2世帯になった「双核家族」という概念を著者は以前から提唱している)。日本社会の離婚後の家族をめぐる議論において、決定的に欠けている重要な視点を提示している。

(5) 先生の代表的な著書または論文を二つか三つ教えてください。

  1. 野沢慎司『ネットワーク論に何ができるか-「家族・コミュニティ問題」を解く』勁草書房 2009年 家族とコミュニティの接点、両者の相互関係をネットワーク論という視点から多角的に分析している。夫婦関係とネットワーク、核家族の連帯性とネットワーク、若者の結婚意欲とネットワーク、居住地移動とネットワーク、ひとりの職人の人生航路とネットワークなど、個人の意識・行動、個人間の関係がいかにネットワーク現象であるかを示そうとした。
  2. 宮田加久子・野沢慎司編『オンライン化する日常生活-サポートはどう変わるのか』文化書房博文社 2008年 インターネットは私たちの生活にどう取り込まれ、どのように使われているのかを探究した明学・社会学部における共同研究プロジェクトの成果。家族やコミュニティなど、人間関係形成に微妙な、しかし重要な変容をもたらしている事例を追いかけた。
  3. 野沢慎司・茨木尚子・早野俊明・SAJ編『Q&A ステップファミリーの基礎知識-子連れ再婚家族と支援者のために』明石書店 2006年 これまで日本では研究されることがほとんどなかったステップファミリーについて、社会学、法学、社会福祉学、心理学、支援実践など多様な視点から論じた日本で初めての概説書。当事者や支援者が日々直面する問題に関しても有用な情報やヒントを提供しようとした。
  4. 野沢慎司編・監訳『リーディングス ネットワーク論-家族・コミュニティ・社会関係資本』勁草書房 2006年 社会的ネットワーク論の古典から、ネットワーク分析的な社会関係資本研究の最先端まで、7つの重要論文の翻訳を収録。章末に各論文の理解を助ける解説文をつけ、この一冊で社会的ネットワーク論の半世紀にわたる展開をざっとつかめるように編集した。