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日々の社会学科

高松順子さんは金光教亀有教会の教会長であり、進行性神経原性筋萎縮症で首から上しか動かせない第一級(重度)身体障害者の方です。順子さんと介助の方お二人を10月7日のゼミにゲストスピーカーとしてお招きし、様々なお話を伺いました。 順子さんは小さいころから教会の家族と親しくしていましたが、21歳の時に発病し、25歳の時に福岡県の金光教合楽教会の修行生になりました。そして17年間の修行の後、東京の亀有に布教に出ることになりました。順子さんは毎日亀有教会で、信者さんたちが話に来るのを待っています。信者さんの様々な話を聞いていく中で、ストレスを感じたり・疲れたと思うことはないのですか?とゼミ生が伺うと、「もちろん、何時間もお話を聞いていると疲れたと感じることはあります。しかし、それは自分一人だけのことではなく、そのお話を神様にお届けするので特にストレスが溜まることはありません。また、むしろ信者さんたちの話を聞くことが自分の力になります」と仰っていました。何かを一途に信仰し、神を信じることにこれほどの力があるのか、と正直驚きました。

また、ゼミ生の個人的な相談もさせていただきましたが、「悩みが人の心を磨いていきますよ」と言っていただきました。そして順子さん自身の人生での悩み苦しみについて質問すると、「病気が辛く命を絶とうと思ったこともありましたが、今となってはいい思い出です。色々なことがあった人生だったけれども、周りの人に恵まれ苦しかったこともかけがえのないものになってきています」と仰っていました。このように物事を前向きに捉え考えられるのも、金光教が喜びの心を育てる宗教だからなのかもしれない、と感じました。 介助で来てくださった河野よし子さんと末永正次さんにもお話を伺いました。よし子さんは、「生まれた時から家が金光教で、そのことは親からもらった財産だと思っています。辛いことがあっても金光教があれば生きていけるし、大きなものに見守られている感じがします」と仰っていました。正次さんは、「親が金光教を信仰していましたが、日々の修行を意識し実践するようになったのは自覚が芽生えてからでした」と述べておられました。

今回順子さんと介助のお二人にお話を伺い思ったことは、金光教は厳しい戒律があるわけではありませんが、年齢を重ねる過程で何かのきっかけがあり金光教への考え方関わり方が変わっていったということです。何かを強制される訳ではなく自分で意識を変える、又は変わっていくからこそあのような自然で人間味のあるお言葉で話をされるのだと思いました。私を含めゼミ生は宗教者の方とお話をするのは初めてでしたが、お三方とも落ち着いて優しく私たちの質問に答えて下さり、宗教者ということ以前に人として尊敬できる方々だと思いました。同時にそれは今のその方々を作っているものの大きな要因に金光教があり、宗教の大きな力を感じました。

社会学科3年 大倉萌