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日々の社会学科授業紹介

「社会学特講A(社会学科)」、「社会学特講(社会福祉学科)」(災害と社会)2016年5月25日
 特別講師 関谷晴夫さん(岩手県大槌町吉里吉里在住)をお迎えして (担当 浅川達人先生)

001.png2011年3月11日金曜日、パソコン教室で地元の人に教えていたとき大きな地震が起きた。津波が来るとは思ったが、これほど大きいとは思ってなかった。自宅に戻ると、自分を待っていた母が先に避難所に向かった。引き潮がすごいので大きな津波になるとは思ったが、片づけをしていてふと外を見たらすでに100メートルのところまで大津波が迫り、あわてて逃げて命拾いをした。携帯しか持ち出せなかった。家は土台から離れて流された。

小学校の体育館に400人ぐらいが避難した。停電していて水道も止まった。校庭に駐車してあったバスから電気をとり、井戸水を使い、汲み取り式のトイレを借りてしのいだ。都市化されていないゆえに災害に強い面があった。震災直後は多くの地域でガソリン不足に困っていたが、地元のガソリンスタンドの厚意でガソリンが無料で提供され助かった。食事は調理室で一日三食が5ヶ月間作り続けられた。自宅が残った人たちから米や野菜などが差し入れられ、地元出身で東京などに住む人から避難所に支援物資が送られてきた。家が残っていれば親戚の人などを引き受けてくれたので、避難所が過密にならずにすんだ。だから支援物資は自宅にいる人にも配った。吉里吉里だからこそ、住民それぞれが自分のできることをする助け合いによって避難生活が過酷にならずに過ごせた。避難所には貼紙で多くの情報があったが、避難所に来ない住民には情報が伝わらない。それで貼紙の情報をツィートした。すると、東京に住む孫がそれを見て、吉里吉里に住む祖父母に必要な情報を電話で伝えたということもあった。

002.png復興はなかなか進まなかった。それでも「砂の芸術祭」などのイベントや神社の例大祭をやった。鹿踊、神輿、虎舞、大神楽などがあり、住民全員がそれぞれの役割を担っているので、観ているだけの人がいない。ボランティアに入った明学生も祭りに参加した。

復興が進まなかったのは区画整理に時間がかかったためもあるが、将来の地震・津波を考えた住宅再建のために、住民の声を聞く会議が重ねられ、何度も計画を練り直したためだった。地域全体に盛り土をすること、海が見えないところに住むことによって、失うものも多いが、話し合いを重ねて住民が受け入れた。それから復興工事が進むようになった。災害復興住宅も建った。高台の土地が狭いために、防災集団移転団地とはいえ、3軒とか5軒くらいずつしか建てられない団地が多い。自宅が再建される前に亡くなった人たちも少なくない。まちがどんなふうに変わっていくのかわからない。震災で生き残って、生活に必要なものだけあればいい、というように考え方が変わった。(終)