DNA問題研究会
2002年9月23日
『DNA問題研究会』は1981年発足した市民グループである。その設立の趣旨は「生命操作の全体的意味や影響について、一生活者の立場から捉え、発言していく」ことを目的としている。現在会員数は約200人ほどで、組織としては特に代表者を置かず7、8人の中心メンバーが中核となって活動を行っている。この点において、いわゆる組織的な市民団体とは趣を異にする。
会が設立されたのは時期的に「遺伝子組み換え実験の指針」が策定され、実験が開始された頃と重なる。このときマスコミによって遺伝子技術の応用へのバラ色の未来が喧伝され、同時にバイオテクノロジー関連株が急騰した、いわゆる「第一次バイオ・フィーバー」が起こった。
だが指針そのものは遺伝子組換えに関する様々な危険性が論議されたアシロマ会議の結果が反映されたものであったにも関わらず、実験が開始されて間もなく、政府によって指針の大幅緩和が図られることになった。こういった状況に対しマスコミはもとより、市民レベルにおいても殆ど関心が向けられることはなかった。
このように無批判に遺伝子技術の応用が拡大していく状況に対し、「何となく、変だよね」と言った市民レベルでの疑義をもとに有志が集まって自然発生的に出来上がったのが当会である。
設立当初においては会の性質は、まず問題について知り、討議し、情報を発信することを目的とする勉強会的な趣を持ったものであった。具体的なテーマを設定し、行政の担当者や有識者を交えてシンポジウムを開催するといった活動を重ねていった。このような活動がマスコミによって紹介され、やがて会の知名度も上がっていった。
実験が開始されて間もなく日本各地にバイオ関連施設の建設計画が持ち上がり、これに対し不安を感じる住民によって反対運動が起こり始めた。当時は遺伝子組み換え実験の具体的内容については市井レベルにおいては殆ど知られることがなく、各運動主体側も情報不足の状況にあった。これに対して当会は各地で展開される運動に対し情報を発信していく役割を請われ、そしてそれに応えるようになっていった。
やがて会が対処する問題も、遺伝子技術に限定されたものから脳死臓器移植や体外受精やES細胞などの先端医療全般の領域へと広がっていき、関わりを持つ団体も増え、やがて会の活動も勉強会的なものから積極的に意見を表明し、異議を申し立てる団体へと変わっていった。
現在の具体的な活動としては省庁の審議会を傍聴するなどの方法で国の政策の決定過程を監視し、その経過を冊子(『DNA通信』)にまとめ会員に配付したり、テーマを設定し『定例会』を開催するといったことを定期的に行っている。そして関連団体に対しては意見書や公開質問状を、行政に対してはパブリック・コメントを提出するなどの活動を行っている。会の活動は中核となるメンバーによって自主的に展開し、事後に事務局会議で承認するという形で進行してきた。
遺伝子技術をめぐる状況は当初の予想を超える規模と速さで変化を経験してきた。
当会は市民の自由な意見の表明の場を提供することを目的として発足したため、運営規則やメンバーシップに関しては特にきちんとした取り決めを定めて来なかった。だが振り返ってみればこういった会の「アバウトさ」がむしろ遺伝子をめぐる環境の変化への柔軟な対応を可能とし、かつ会が20年以上続いた理由とも考えられる。だがその一方、このことは会費の徴収などの事柄に対しては不利に働いているのは認めざるを得ない。
会の活動は現在にいたるまで市民運動としてそれなりの成果を上げることが出来たと自負している。だがパブリック・コメントや意見書による手段がどこまで行政や関連団体に対して影響を及ぼしえたのかについては会の内部でも意見の分かれるところである。
20年を経た今日、科学者や専門家の遺伝子技術に対する態度に大きな変化は見られない。
医療、産業など様々な領域に遺伝子技術が応用されつつある現実において「何となく、変だよね」といった素朴な市民レベルの疑問を大切にし、今後も情報を発信し続けていきたいと考える。