中里友豪(なかざと ゆうごう)
1936年生まれ
琉球大学法文学部国文科卒業
元高校教諭
詩誌「EKE」同人
演劇集団「創造」団員
詩集
『コザ・吃音の夜のバラード』(1984)
『任意の夜』(1986)
『ラグーン』(1989)
『遠い風』(1998、第21回山之口貘賞)
詩画集
『トスカーナへの旅』(2002)
戯曲
『越境者』(2000、第4回沖縄市戯曲大賞)
エッセイ集
『思念の砂丘』(1997)
詩
「任意の朝」
いつものように戸を開けて外に出ようとすると べたっとからだ
じゅうにべとつくものがある 手に取って見ようとするのだが 透
明なそいつは執拗に手にひっついて逆に手が取られてしまった 子
供に触ってみろと顔を突き出したら ひたいをさわって こんなに
寒いのに汗をかいている と妻を呼んだ 妻も同じように額に触り
風邪じゃないのと言う してみると彼らには全くべとつく感触がな
いわけだ むりやり寝かされておまけに氷枕までさせられた 妻と
子供たちが時間を追いかける勢いで出て行ったあと 入れちがいに
母が入ってきて僕を見下し 奇妙な笑いを浮かべた 母は気づいてい
る 直感は血の臭いがする 胸の上で組み合わせた手がしだいに固く
なってくる 両手をかざして見ると透明であったものが黒に変色し
すでにコールタールの粘着力を持ちはじめている 母に視られない
ために目を閉じて ザムザや『転落』の笑いのことを考えながら気
を紛らわそうとするのだが 不安は去らない
もう一度外に出てみる どうやら歩けそうだ しかしべとつく粘
膜はどこまでもまとわりついてくる あとを振り返ると どうも粘膜
の中にいるらしく ちょうど風船の内側からその皮膜を突き上
げているふうなのだ いまのところどこまでも歩いていけそうな気
がする けれどもいまや無限というのはほとんど一センチに等しい
コールタールのように固まっていく予感がする そいつは急速にや
ってきそうだ 遠くで旗を振っている男がいる 何か喚いているよ
うだが声はここまでは届かない スーパーマーケットには沈黙が充
満し 橋の上では救急車のサイレンが凍ったままだ 腐食した窓の
眼窩から赤い紐がいくつも垂れ下がり その先端で裸の女たちが烏
賊のように反り返っている 風の記憶をたよりにビルの角を曲がる
と ビルとビルの間にやっと座れるくらいの塵箱がある その上に
坐りタバコに火をつけて見上げると 屋上すれすれにモス・グリー
ンの機体が帆船の速さで通り過ぎていくところだ 硬直した密語の
蟻が白い壁の亀裂にぞろぞろと這入り込んでいく コールタールは
手から胸へ下りてきた 血管の数と都市の水道管の数を比べる果て
しない遊戯にふけっているうちに塵箱に落ちた
斯く電球を砕いて脹れてくる笑いを押さえつけていたかと思うと
たちまち闇の明るさに身を捩る仕末だ なめくじの睡眠は長いよだ
れを引きずって やっとの思いでめくれる壁の饒舌に耐えている
よだれの跡は漂白された黙劇 朝のコーヒーカップは皺くちゃの胆
汁を吐きつづける その臭気を消すために狂気で厚化粧したズボン
を穿くのだが ズボンはズボンで勝手にしゃべりまくるのだ 殺意
を隠したたおやかなスカートが通り過ぎても もはや一センチも突
き破ることはできない……
『コザ・吃音の夜のバラード』より
「予兆」
〈時〉を貫いて奔る
熱い記憶があるならば
幻想の亀裂の向こうに
しなやかな影を視ることはできる
……あのとき
ひっきりなしの雨にさらされた腐爛の眸に
刻んだものは何であったか
飢餓と幻覚の累日の果て
狂気の坑道を通って何を殺したか
少女の首のぬくもり
老婦の脳漿のしたたり
〈皇国〉の渇いたカミソリ
乾いた涙府
アダンにつるされた枯れ猫(カリマヤー)のように
菊の紋章をつりさげたか
東に走る風の岬
立って身を晒し水平線を視よ
たしかにひとつの予兆がある
〈時〉を貫いて奔る
熱風のことばがあるならば
空しさを踏みつけて
一声叫ぶことはできる
……このとき
傾斜する歴史の陰で
うりずんの水脈を掘りあてることができるか
ガンパロー とうたってほほえむな
バンザイ とわめいてひざまずくな
土謡のひと節
悲傷の底から絞り出し
ただひたすら内に堕ちよ
饒舌な沈黙
翔る地核
影を引き裂き
暗転の迷路に醒めてあれ
ひとつのことばでいい
したたかな怨念を装填せよ
たしかに迫る予兆がある
「復帰」前夜、雨
『コザ・吃音の夜のバラード』より
「遠い風」
屋敷の隅に風を植える母
目を閉じ 心を開き
まるめた背中に
ひたすら風を集める
遠い風
未生の彼方からたぐり寄せる
遥かな記憶
小石に立てかけた平(ヒラ)御香(ウコウ)の結界が震え
静寂を孕む
戦争、飢餓、六人の子供
八六年いのりつづけた
母を
わたしはただ見守っているだけ
いまだに風がつかめない
風を植える母
母を植える風
『遠い風』より
「9・11」
ユーシッタイ 運転手はそう言った
ユーシッタイル ヤイビール
アメリカヤ ドゥクヤイビーシガ
ドゥーナーガル イチバンチューバーンディチ
ヨーバーター ウセーティ
イーシチカンダレー
ミサイル ウチクダイ
ケイザイフーササイ
ムル ドゥーカッティ
ヤグトゥ アマクマウティ
ニータササッティ
テロン シカキラリールバーテーサイ
ヰ―バーンディ ウムトールチョー
マンドーイビールハジドーサイ
ンカセー ヤマトゥンカイ
ウスマサ ウセーラッティ
チャー ウッチントゥーソーイビータン
ウチナーンチョー ウフヤッサイビーグトゥ
テータチュンディルクトー サビランタン
テロシカキーセー ウレー
タシカニ マチガトーイビーン
ヤイビーシカ
ウヌククルムチヤ ユーワカイビーン
チカグロー ヤマトゥーターン
ウセーランナトーイビーセーヤーサイ
ウチナーヌブンクワ チムグクル
ウヌフージー ワカティチャグトゥル
ヤイビールハジドーサイ
アメリカン ウリカーヌクトゥユーカンゲーティ
ヒラーティイカントーナイビランシガ
アネーアイビラニ