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学科主任メッセージ

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社会福祉学科主任
茨木尚子

これからの学び

また新しい年度が始まりました。

社会福祉学科の皆さんは、それぞれのこの1年、何をどのように学んでいきたいと考えているでしょうか。教員である我々も、4月は講義や演習の新しいスタートです。

最近は、教育で何を教えるかが、主に政治の問題として議論されています。「日本の正しい歴史」、「日本の正しい文化」を教えるといった言葉がいろいろなところで語られています。戦前の教育勅語の再評価の声さえ聞かれる時代になっています。

私の尊敬する日本の障害者運動の草分けのリーダーのお1人に、花田春兆さんという脳性マヒの方がいらっしゃいます。すでに90歳を超えて、長く戦後の日本の障害者の運動をけん引してきた方です。春兆さんは、光明学校(現在の光明特別支援学校)という日本で初めての障害児の学校で教育を受けた方ですが、2007年に、日本の障害児教育が、特殊教育から特別支援教育に変更した際に、「自分が受けた教育は特殊教育であって、特別支援教育ではない。そんな名前で障害児の教育を呼んでほしくない」と憤っておられました。

春兆さんが光明学校で教育を受けた時代は、ちょうど昭和に入り日本が太平洋戦争へ向かう時期でした。特に中学校になると、普通学校では教科として軍事訓練が実施されていた時代です。身体に障害があり、軍事訓練ができない光明学校の子どもたちは肩身の狭い思いもしたそうです。そのような時代に、光明学校の先生たちが、肢体不自由児たちに教えたのが、短歌や俳句などを中心とした日本の古典文学だったそうです。特に短歌や俳句の創作活動は、当時タイプライターやパソコン等がない時代、鉛筆で長い文章を書くことが難しい脳性マヒを中心とする障害児が、自分の考えを文章としてつづるための手段として、しっかりと教育を受けたそうです。春兆さんから伺った話では、古事記や日本書紀、平家物語、そして古今和歌集などを、原文で学ぶような授業をたっぷりと受けられたということでした。より強い兵隊となるための教育を障害のない子どもたちが「普通学校」で受けていた時代に、短歌や俳句、そして日本の古典を「特殊学校」でしっかり学んでいた障害児たちがいたことは驚きです。

第二次大戦後、障害者たちによる、自分たちの生きる権利を広く社会に訴える当事者運動が盛んになり、今日の障害者施策の礎となりました。その複数のリーダーたちが、戦前の光明学校の卒業生たちでした。日本の障害者運動は「つづる運動」とも言われ、当事者たちが書いた多くの文章が残されており、現在も彼らの主張を読むことができます。こういった障害当事者の書いた文章を丹念に辿り、障害者運動の歴史を学ぶことも、障害者福祉学の大切なテーマです。教科書だけでなく、たくさんの興味を広げて、書を読み、街へ出てください!社会福祉学には、多様な学びのチャンスがあります。