運動/思想としてのフェミニズムやフランスの思想家M・フーコーが提起した問題のいくつかを自分なりに考えつづけてきました。性差別・性役割の現状分析、性の商品化、身体論、フェミニズムの状況・運動論などについて書きましたが、いま特に興味をもっているテーマは大きく分けて二つあります。一つは、「性別とはそもそも何か?」という問いにかかわる、いわば性現象の原理論。もう一つは、「生殖」をめぐる問題系、具体的には生殖における女性の自己決定権をめぐる倫理学的な考察や、性道徳と優生思想との絡み合いについての歴史的探究。もちろんこれらは別個のテーマではありません。人間が〈性別を持つ〉という事態は、究極的には有性生殖という生物学的条件の上に成り立っているのですから。
そうした観点から、進化生物学や脳・神経科学の動向にもシロウトなりに深い関心をもっています。当面は、生殖技術と遺伝子技術の交わる地点に注目し、〈生命〉をめぐる権力関係の分析に集中していくつもりです。
受験生諸君へ。人生のなかで、大学生として読書や議論にあけくれる日々ほど素晴らしいものはありません。それは、いかなる恋愛や仕事や旅にも優るとも劣らない貴重な時間です。ひとにお金を出してもらって勉強できるということが、この世界のなかで、どれほど恵まれた身分であるか。ほんの少しばかりの想像力を働かせてみればわかるでしょう。けれども、正直なところ、こんなハナシには「はぁ?」と言う人の方が多数派かもしれない、とも思います。それでも、上に書いたことが「もしかしたら本当かもしれない、本当だったらいいなあ」と感じられる人にこそ、ぼくらと共に学んでほしいと願っています。
在校生諸君へ。上に書いたことはそのまま君たちへのメッセージでもあります。「いまやりたいこと」が企業のインターンだったりする学生たちを見ていて、それ自体が悪いということではないけれども、「浮世を離れて勉強さえしていれば許される」という学生ならではのかけがえのない贅沢をもっと思いっきり享受すればいいのに、とときどき思います。
卒業生諸君へ。ぼくの好きな歌詞の一節を。「勇気なんていらないぜ/僕には旅に出る理由なんて何一つない/手を離してみようぜ」(くるり「ハイウェイ」)女であること、男であること。あるいは、そのどちらにも当てはまらないこと。そのことは、かけがえのない個――とさえ言えないような、唯一の誰か――である私たちの一人ひとりにとって、どんな意味をもっているでしょうか。こうした問いに行き着くジェンダー論の視点は、恋愛、メディア、結婚、家族、セックス、教育、労働、政治、世界経済......どんなテーマを研究する上でも不可欠です。 このゼミでは、まず3年次に「これまで、ジェンダーやセクシュアリティという概念をめぐって何が言われてきたのか」を概観し、その基礎の上にたって、4年次ではメンバーそれぞれの「実存」により深く関わるテーマについて卒論を執筆します。
ちなみに最近数年間の卒論テーマは、「人はなぜコスプレをするのか」「宝塚ファンは何を求めているのか」「男性の育児参加の現状と問題点」「女性雑誌にみる姫系と小悪魔系」「女性難民問題」「ジェンダーと格差社会」「売買春の歴史」......などなど。他に、表面的にはジェンダーや性とかかわらないように見える「日本の学生運動」や、「意識と肉体」といった哲学的な考察もありました(加藤がアドバイスできる範囲の、社会学、社会思想、哲学といったテーマの卒論なら、自由にテーマを選ぶことができます)。
自分自身の切実な問題意識とあくなき知的好奇心をもって世界に立ち向かっていきたい!というみなさん(そして、勉強は苦しいこともあるけど愉しい、と素直に思えるみなさん)と一緒に、これからも学んでいきたい、と思っています。
(文責:加藤秀一)