Masaki Sawano
7-1017(ヘボン館10階)
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近年の研究テーマ
- 1.22年に上梓した『科学と国家と大量殺戮 生物学編』の続編として『同 物理学編』を執筆中である。講義をしているなかで「我が国」を「被爆国」と称しながら、核物理学にも核兵器のメカニズムにもとんと疎い学生が多いことはすでにわかっている。その意味では啓蒙的な教科書を兼ねた一般書として23年秋までに発表したいと思っている。
- 2.以前に内藤潔氏と共著で「愚行の社会学」と題した論文を5本ほど立て続けに発表したのだが、500枚以上書きながら、どうにも消化不良というか、いわば「やり切れていない」との印象ばかりが残っていた。その印象は今や「どうして我々はデヴィッド・グローバーの『ブルシット・ジョブ』に到達し得なかったのか、もしくはそれを鯨飲する射程を持ち得なかったのか」と言い換えられる。今後、数年かけて一個の文明論ないし近代人論として『愚行の社会学』を再編成する必要を痛く感じている。できれば24年に著作として世に問いたい。
- 3.後藤浩子・矢作征男とのユニット、サドッホの2冊目の単行本も作らなければならない。タイトルは未定だが、既発表論文を叩き台にして、第1弾の『セックス』よりもカオスの臭気が濃厚な論文集になるものと思われる。啓蒙的な一般書から遠く離れた著作になるだろうが、とはいえ一部の専門家にした通じない専門書でもなく、いわば想像しうる範囲よりも遠くの読者と遭遇することをのみ望む「本」になるだろう。希望としては24年に発表したいが、25年にずれ込むくらいのことは前もって覚悟しなければなるまい。
- 4.クソみたいな言葉が横行している。コンプライアンスだのガバナンスだの腐臭を放つ言葉が氾濫する社会はまた、告発や糾弾の言葉が溢れ、処罰感情が蔓延する社会でもある。つまり誰もが誰も「許さない社会」である。キリスト教をはじめとする宗教や道徳のなかに、この冷血な超近代社会がそれゆえ喪失しつつある救済の可能性がわずかに残っているとすれば、それこそ「赦し」にしかないだろう。許し得ないもの・ことを「赦す」そのわずかな可能性を哲学的に模索・追究する。ルネ・シェレール『歓待のユートピア』の射程を延ばしつつ、その先でミシェル・フーコー『肉の告白』へのアンサーソングを奏でてみたい。
担当授業
主な学部担当授業
主な大学院担当授業
主な業績
- 著書(単著)『〔犯罪社会学講義〕科学と国家と大量殺戮 生物学編』、2022年12月、言視舎。
- 著書(後藤浩子・矢作征男とのユニット)サドッホ『セックス』、2021年11月、法政大学出版局。
- 著書(単著)『ミルトン・エリクソン:魔法使いの秘密の「ことば」』、2019年9月、法政大学出版局。
- 著書(単著)『絶滅の地球誌』、2016年11月、講談社選書メチエ。
- 著書(単著)『起死回生の読書!――信じられる未来の規準』、2016年11月、言視舎。
- 論文(単著)「ダウン、ダウン、ダウン--支えのない世界へ」『ユリイカ』2015年3月臨時増刊「150年目の『不思議の国のアリス』」、青土社。
社会的活動
原則として役に立つことと正しいことはしないことにしているので、ありません。たとえあったとしても、ひた隠しにします。
メッセージ
勉強のイメージは、やりたいことを控え、つらくてしんどいことを我慢してする感じでしょうか。つまり、義務を課されて、欲望を抑え、責任を果たすというイメージです。そうした勉強の負のイメージから離れ、むしろ欲望を育み解き放つことで、学問の真の姿が見えてきます。本来の学問の世界は刺激的な遊びに満ちていて、無限の自由が広がる世界です。それがわかるまでには相応の時間と労力が必要ですが、大学生活という時空は学問が遊びの世界であることを知るためにあります。言い換えるなら、もし遊びの要素を失えば、創造性と活力がともに失われ、学問は事実上の死を迎えてしまうでしょう。
私たちは知の世界の泳ぎ方をいくつか伝授するでしょう。新入生は高校生の心性からできるだけ早く離れてください。在校生は刺激的な遊び心を体得できたかどうかを自分に問い尋ねながら、貪欲に出会いの場をさがしてください。卒業生は遊び心を失わず、つまり仕事とは異なる脳の使い方があったことを忘れず、ときには大学の講義に足を運んでください。たぶん、いいことがあります。
ゼミ紹介
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