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岩永先生がフランスで開催された国際会議に参加しました

フランスで開催された国際会議「ひとつの健康とグローバルな健康―コロナ・パンデミックは、文明の変容に関して、私たちに何を教えてくれるのか?―」に参加してきました。

2022年2月7日(月曜日)17:00から、パリ郊外のヴェルサイユ・サン・クワンタン大学(Université Paris-Saclay)で開催された、コロナ・パンデミックをめぐる国際会議に参加してきました。この国際会議は、上記大学とパリのFoch病院の共催で開催されたものです。グローバルに組織されており、とくに世界のフランス語圏の研究者に対して知的な情報共有のためにオープンに組織されたものでした。

「ひとつの健康とグローバルな健康」と題されたこの会議のメインイベントは、フランス国家倫理諮問委員会名誉会長であるディディエ・シカール(Didier SICARD)教授の講演「コロナ・パンデミックは、文明の変容に関して、私たちに何を教えてくれるのか?」でした。会議は終始フランス語で行われましたが、会議自体は大学の1教室という物理的な「場所の空間」で開催される一方、YouTubeで映像と声が同時配信(En visioconférence via la chaine Youtube de l'UVSQ (Rubrique conférences))され、また世界中から会議向けに準備されたZoom教室への参加者も多くいるという新しいかたちの集まり方(new modus operandi of assemblage)になっていました。

シカール教授の講演内容は、モンゴルや中国から中央アジアを経て中近東、イスラーム社会からヨーロッパに及んだペストの歴史的な感染拡大の経緯と、今回中国の武漢で始まり北米から南米を経てヨーロッパにやってきた新型コロナ感染症(Covid-19)の経路とその影響の違いを、主には医学や公衆衛生の観点から、また時に社会学や文化人類学の視点も加えて比較するという興味深いものでした。

国際会議のテーマに関わるシカール教授の結論は、「今回の新型コロナ感染症が私たちの文明に突きつけている問題は、歴史上初めて「ひとつの健康(Une seule santé)の問題が同時にグローバルで(地球規模の)均質な健康(Une santé globale)」の問題になっている」というものでした。歴史的に感染症の問題は世界の〈地域的な問題〉であったが、それが今回、世界史上初めて〈地域的な健康問題〉であると同時に〈グローバルな健康問題〉になった、というものでした。

講演者であるシカール教授は、少なくともYouTube の同時配信画面で見る限り、マスクもせずごく普通に講演室である教室の前方に黒板を背景に脇に水のボトルをおいて椅子に座り、フランス語で時に原稿に眼をやりながらゆっくりと話をしていました。しかし、講演が終わるとすぐに両脇から現れた二人の司会進行役は、鼻から顎まで隠れる大きなマスクをして講演者に感謝の言葉を述べつつ議論をするためにその両脇に座りました。黒板に向かって右側にはスーツに身を包んだフォーマルな出立ちの、国際会議のオーガナイザーであるパリ大学名誉教授クリスチャン・エルベ(Christian Hervé)先生が、他方左側には、やはり鼻から顎まで隠れる大きなマスクをした、しかし割とラフな格好の司会進行役である比較的若い研究者が座りました。

質疑応答に関しては、Zoom教室ではなされず、講演者の目の前にいる聴衆者から出た質問に対してのみやりとりがあり、それを私たちはYoutubeの同時配信とZoom教室で聴く、というものでした。東京からも、Zoomのチャット機能や直接声を出して質問ができたのかもしれません。しかし、今回は、司会進行のマネジメントのなかにその時間割り当ての意識はなかったようです。とても残念でした。フランス語で、あるいはそうでなくても英語で、「場所としての講演室」の外から、東京から質疑応答が共有できれば、講演者がたびたび口にしていた「ヨーロッパ人」にとっての「地域的な新型コロナ感染症問題の経験」をめぐって、もっとグローバルに知識や経験を共有できたはずです。

この種の〈新しい集まり方〉は、まだ進化の途上にあるのだと強く感じた国際会議への参加でした。そして、パリ郊外で開催された国際会議に東京に居ながらにして参加できたのは、これが初めてでした。このような〈新しい集まり方〉は、国際会議の形式だけでなく、大学の授業形態、大学間のグローバルな文化交流のかたちとしても、これからますます進化・発展を遂げていくのだろうと考えています。 

ちなみに、フランスのパリ郊外で2月7日17:00から始まったこの会議は、東京では8日(火曜日)午前1:00からの開催になりました。私は早めに夕食を済ませて、一旦仮眠ではなく就寝して、午前1:00前に起きて会議に参加するというかたちになりました。これを、〈日常生活におけるナショナルな時間の混乱〉と考えるか、新しい時代における〈グローバルな時間の共有の試みあるいは社会的な実験〉と把握することができるのか、いま少し立ち止まって考えてみたいと思っています。

しかし、グローバル化の進化・発展をめぐる〈歴史的に新しい時間の流れ〉は、その立ち止まりを許してくれない程強烈に、前に進んで行っているようにも見えます。 

  (社会学部社会学科教授 岩永真治)

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