2022年3月27日(日曜日)に、横浜みなとみらいのランドマークタワーで開催された、神奈川県主催のウクライーナ人道支援コンサートで、演奏されたウクライーナ国歌の歴史や意味について話してきました。
13:00からコンサートに先立って始まったトークショーでは、神奈川県に住んでいる、あるいは神奈川県で働いているウクライーナの人たちの、今般の戦争に直面して日々苦しみと悲しみのなかを生きている気持ちや生活の現状が、語られました。「ウクライーナで起こっていることの悲惨さに涙が出過ぎて流す涙がなくなってしまった」「ウクライーナの家族に夜お休みを言った後朝になるまで、砲弾がなかったかまだ生きているかと考え続けて、毎日日本にいても眠れない」など、うかがうのも苦しく胸に痛いウクライーナの人びとのリアリティを、その場にいた多くの神奈川県民は受け止めてくれたように思います。
わたしが説明させていただいたのは、まず、1) ウクライーナの国歌は幕末の頃に成立した古く伝統のある歌であること、また、2) 1917年11月にロシア革命のなかでウクライーナが近代国家として独立した際にすでに正式に国歌として採用されたものであること、他方、3) それがモスクワのソビエト共産主義政権の成立の過程で否定されたこと、最後に、4) 国歌の内容は、帝政ロシア時代からソビエト共産主義時代を経て続いた「ロシアの抑圧からの解放を求める気持ち」と「ウクライーナ人の歴史的背景を持った自由への希求」である、ということです。
コンサートの合間には、トークショーに参加したウクライーナの人たちが、駆けつけたウクライーナの友人たちと肩を組み、「スラーバ・ウクライーニ!ヘローヤム・スラーバ!(ウクライーナに栄光あれ!英雄たちに栄光あれ!)」と国旗を掲げて雄叫びをあげていました。とても心を打つ光景でした。
当日のパンフレット向けに、ウクライーナの国歌を、以上の歴史的な文脈がわかるように私も新たに日本語に訳してみました。
なお、ウクライーナ国歌の社会的な背景をもう少し知りたい方は、「旧ロシア帝国領土の崩壊過程」に関するつぎのページ「社会学とはどのような学問か」の簡単な説明(pp. 35-37)をご覧ください。
https://soc.meijigakuin.ac.jp/gakka/image/2022/03/2022-02iwanaga.pdf
(文責 岩永真治)