明治学院大学

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日々の社会学科

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岩永ゼミ 国立オデーサ大学の先生が英語の講義を行いました!

 メーチニコフ国立オデーサ大学の先生が、ロシアのウクライーナ侵略とオデーサの文化について、英語で講義を行いました。

 2023年1月24日(火曜日)1限の演習1の時間に、社会学科岩永真治ゼミでは、昨年の8月に学術交流協定を締結したウクライーナ南部の国立オデーサ大学から訪問研究員として明学に「学術避難」をしている二人のカテリーナ先生から、現在のオデーサとウクライーナの現状についてお話を伺いました。ロシアのウクライーナ軍事侵攻からちょうど11ヶ月目の日の授業になりました。

 お二人とも明治学院大学では初めての講義だったようです。準備されたパソコンのスライドで説明される、破壊されたオデーサの街やウクライーナの領土は、目を覆いたくなるような惨憺たる現状でした。講義はもちろん、ロシア語でもウクライーナ語でもなく、お二人とも大学では英語の先生ということで流暢な英語の講義になりました。

 英語の講義ではありましたが、プレゼンで使用された写真などがリアルだったせいか、もともとウクライーナという国に関心が強かったからか、講義の後非常に多くの質問がゼミ生からは矢継ぎ早に出ました。岩永ゼミでは、ゼミ運営の連絡事項をしばしば英語で伝えて英語または日本語で反応するという訓練を、1年を通じてやってきました。その効果が出たように感じました。"Any question?"と学生に問いかけると、すぐにゼミ生は何人もスーッと手を挙げて、日本語で次から次へと質問をしてきました。

 カテリーナ先生たちの話で興味深かったのは、オデーサという街はもともとロシア語を話している街で自分たちの「母語(mother tonque)」はロシア語だけれども、自分たちは「ロシア人ではなくウクライーナ人だ」という説明でした。したがって、ロシアに親戚もいるしロシア語も話すのでロシアという国には親しみの感情もあった、でもそれが昨年2月24日にまったく変わってしまった」という話でした。ちなみに、オデーサ大学では現在、法律に従ってすべての講義はウクライーナ語で行なわれているということでした。

 いずれにしても、ロシア語を話すかウクライーナ語を話すかで「ロシア人」と「ウクライーナ人」に単純に分けられるわけではないということでした。ウクライーナ東部のハルキウや南東部のメリトポリで、ロシア語で叫びながら血まみれになり逃げているウクライーナ人の映像が甦ってきた瞬間でした。プーチン大統領の「特別軍事作戦」の初期の理由のひとつは、「ウクライーナではロシア語話者が抑圧されている、だから助けに行く」というものでした。

 また、カテリーナ先生がプレゼンのなかで、笑っている軍服の男性の写真を見せて「この男性は戦争で必死に戦っているのに笑っている。それがオデーサの文化なのです」と説明しました。講義後の質疑応答の時間に、一人のゼミ生がその点について言及し「軍服を着て笑っているのがどうしてオデーサの文化なのですか?」と、質問しました。その回答は、とても文化的に学びが多いものでした。「それはもとはユダヤ人の文化(オデーサにはユダヤ系住民が昔から多い)からきているのだけれども、オデーサ人は物事に真剣に取り組むときには、しかめっ面ではなくむしろ笑いながら取り組む特徴があるのです」というものでした。オデーサの住民は、軍服を着て真剣に笑いながらロシアの侵略と戦っているのだということでした。オデーサでは「笑いは真剣さの証」ということでした。

 わたしがフランス・マルセイユの国際会議に出席するために、その代替措置として補講期間に行われた火曜日1限の演習1の授業でしたが、欠席する学生もほとんどなく、日本語、英語、ウクライーナ語、ロシア語が行き交う、文字通りグローカルな文化空間に教室が一瞬にして切り替わった豊かな時間になりました。ゼミ生は英語で講義を聴き、ときにわたしの通訳を通じて理解し、日本語で積極的に質問をして、とても多くを学び、国境のないグローバル化のリアリティを興奮をもって持ち帰ってくれたと確信しました。なによりも、この戦争の最中に、ウクライーナと日本の文化交流ができました。

 オデーサやウクライーナについてつぎつぎと学生が質問してくれるので、二人のカテリーナ先生もとても嬉しそうで、満足している様子でした。

 「グローバル社会学」の旗を掲げるゼミの教員にとっても、学生がこのゼミに期待しているものをようやく与えられたと感じることができた、至福の時間でした。二人のカテリーナ先生、'Дякую вам'(ジャークユ・バーム, ありがとうございました)!

社会学科教員 岩永真治

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