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日々の社会学科

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岩永ゼミでウクライーナ講義全4回を実施しました!

岩永ゼミでは、中断していたウクライーナ・オデーサ大学との交流の一環として、在日ウクライーナ大使館元二等書記官で、現在国立チリ大学国際関係研究所(Institute of International Studies, University of Chile)で教鞭をとっているVioletta Udovik先生に、ロシアが継続しているウクライーナ侵略に関する3回の講義(5/10、5/31、6/28)と、ウクライーナとロシアの文化の違いに関する講義を1回(7/19)、日本語で行なっていただきました。

キーウ・ルーシが存在していた時代にはモスクワ一帯にはなにも文化的な施設が存在していなかったということ、ウクライーナ語とロシア語は共通の単語もあるが根本的にちがう言葉であるということ、ロシアという名称は「キーウ・ルーシ」の「ルーシ」からきているのでモスクワ人が「ロシア人」を自称するのは「歴史盗用」であること、さらに「ボルシチ」も「コサック・ダンス」も伝統的にウクライーナの文化であってそれがソ連時代もいまもロシアの文化であると喧伝されているのは「文化の盗用」にあたることなど、学生にとっては目から鱗が落ちる講義の連続でした。

そして、Violetta 先生のお話は、私がウクライーナに長期研究滞在した2017〜18年にあちこちで耳にした話と間違いなく一致していました。ウクライーナ国歌「ウクライーナはいまだ滅びず」が1863年にウクライーナ語でかかれ、翌64年に曲がつけられて以来、あるいはそれ以前からウクライーナ人たちの「魂のなかに」ずーっと継続していた「叫び」が、1991年に独立したウクライーナ国家を背景にしてVioletta先生の知的な講義の形式になったものであると私はひとりの社会学者として理解しました。

この「叫び」は、ロシア革命の最中に歴史家フルシェフスキーを初代大統領に国会(ヴェルホーヴナ・ラーダ)において民主的な手続きを経て選出した、「ウクライーナ人民共和国」に受け継がれました。しかし、1922年、その「魂の叫び」はロシア共産党(ボリシェビキ)との戦争に「ウクライーナ人民共和国」が敗れることで封殺されました。この戦争のモスクワ側の赤軍リーダーはオデーサ出身のユダヤ系ウクライーナ人トロツキーでありましたが、このトロツキーも第二次世界大戦後にウクライーナに「クリミア半島を譲った」フルシチョフも、この「ウクライーナ人の歴史的な叫び」を封殺した側の人物として、現在のウクライーナでは扱われているように私は感じています。

現在のウクライーナにおける英雄のひとりは、第二次世界大戦後に旧ソ連のKGBによってドイツで暗殺されたステパーン・バンデーラです。

先日、駐日ウクライーナ大使コルスンスキー氏がある記者会見で、「ソビエト連邦時代のウクライーナの現実は占領であった」と述べた旨が報道されていました。トロツキーもフルシチョフも、日本の知識人や、したがってその言説の影響を受けて日本人一般がいまでもそう思っているようには、現在のウクライーナでは、「ウクライーナ人」ではなく、「モスクワあるいはロシアからやって来た占領者」であるということを私たちは理解する必要があると考えています。

世界ではいま、ウクライーナをあくまでも「ロシアの一部」として吸収・併合したがっているモスクワの権力を解体しなければ、モルドバもアゼルバイジャンもバルト三国もその権力下に武力を持って再統合しようとする「ロシアの野望」は消え去らないのではないか、という議論が始まっています。すなわち、「ロシア連邦の解体」(decolonization of Russia)の必要が議論され始めています。「スラブ民族」「ロシア正教」に支配され「長年にわたって〈ロシア化〉されて来た植民地の解放」が議論され始めているのです。このウクライーナ戦争後の世界秩序を予想させる「21世紀のヤルタ会談」の議論の文脈に、今回のVioletta先生の講義も位置づけられるのではないかと私は感じました。

以下のリンクは、Violetta先生が昨年日本語で出版された著書の紹介です。日本−ウクライーナ間の120年にわたる歴史の理解を深めるための貴重な学術書です。
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スラーヴァ・ウクライーニ、ヘローヤム・スラーヴァ(ウクライーナに栄光を、英雄たちに栄光を)!

社会学科教員 岩永真治

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