明治学院大学

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日々の社会学科

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ルーマニアの首都ブカレストで、ウクライーナ支援の交流会を行いました! ―社会学部社会学科岩永ゼミ、アジアとヨーロッパの社会統合を考える10日間―

海外ゼミ研修旅行
社会学科岩永真治ゼミナールでは、毎年3年次の夏に10日ほどのヨーロッパ研修旅行を実施しています。今年は、9月5日から14日まで7泊10日で、EU加盟国であるルーマニアの首都やその近郊の町を訪れました。
研修旅行のテーマは、「アジアとヨーロッパの社会統合をルーマニアのブカレストで考える10日間―ウクライーナ・リビウ大学の学生や教員を迎えて―」でした。

ブカレストに到着
9月6日(金曜日)の午後、ブカレスト郊外にあるアンリ・コアンダ国際空港に着いた私たち教員と学生20名は、滞在先であるルーマニア・アメリカ大学が手配してくれた大型バスに乗り、10分ほどで大学のキャンパス内にあるゲストハウスに到着しました。各自鍵をもらってリノベされたゲストハウスの部屋にすぐに落ち着くことができました。

ルーマニア人学生と旧市街へ
翌日7日(土曜日)は、早速ブカレスト旧市街でルーマニア・アメリカ大学の学生と一緒に旧旅籠を改修した伝統的なビアホール風レストランで、ルーマニアの伝統料理とビールに舌鼓を打ちました。ルーマニア人の学生と私のゼミ生も、すぐに打ち解け連絡先を交換しあいました。
その後ルーマニア人学生と旧市街地を歩き、古い時代の教会、共産党支配以前の都心部の優雅な建物、共産党支配時代に建てられ平等を重んじる代わりに人々の個性や自由を抑圧した無機質な建物が、不規則に混じり合う、不思議な都心空間を体験しました。また、戦後の王政廃止から長い共産党支配(チャウシェスク)の時代を経て、民主主義陣営のなかで国を再建している姿に思いを馳せました。

新しい郊外の都市空間
7日の夕方には、大学の近くにあるBaneasa Shopping City (Mall)で、もっとも新しいルーマニアの買い物空間を体験しました。このMallの中心にはフランスの有名なスーパー「カルフール」が鎮座していて、2007年にルーマニアがヨーロッパ統合に参画した影響の一端をまざまざと見せつけられました。

ルーマニアの田舎世界とその伝統の意味
翌8日(日曜日)の午前中は、大学から徒歩圏内にある野外民俗博物館を訪れて、ルーマニア全土から集められ地域ごとに多様な農村の伝統家屋を見て廻りました。とても広い野外博物館で、ウクライーナのキーウにも同種の野外博物館がありますが、カルパチア山脈の北東とほぼ南側にあるこれら二つの国に共通するのは、伝統的な農村社会がいまでも民族や国のアイデンティティの基礎になっていることです。

もうひとつの最先端都市空間
その日の午後は、Promenada Bucharestという、日本にもないもっとも新しいタイプのShopping Mallを訪れ、前日に訪れたMallとの違いや、その違いに表現されている、都市ブカレストの近年の発展におけるヨーロッパ統合の影響について考えました。

ルーマニア・アメリカ大学で文化交流会を実施
週明けの9日(月曜日)には、ランチの後、大学招待のキャンパスツアー、そして予定されていた日本語と日本文化を学ぶルーマニア人学生との文化交流会が開催されました。20名を超えるルーマニア人学生が参加してくれて、私たち日本人学生の英語による二つのプレゼンテーション、ルーマニア側の日本語による二つのプレゼンテーションとで構成された、文化交流会が実現しました。
交流会後の意見交換や名刺・情報交換会では、お互いの国の学生たちが相手を変えながら長く意見交換と交流をしていました。私のゼミの学生たちも、ヨーロッパにおける初めての文化交流に興奮した面持ちで、また笑顔も絶えなかったように見えました。

共産党支配(チャウシェスク)時代の負の遺産を見学
10日(火曜日)には、大学が予約してくれた旧チャウシェスク(1989年にルーマニア革命で妻とともに処刑された、旧共産党書記長)邸を訪問しました。たまたま私たちのグループに闖入して来たイスラエル(ユダヤ)人カップルが、私たち日本人の大学生グループに関心を持ってくれて、グループ・ツアーの途中でときどき日本の社会や文化について質問してくれたので、ガイドさんにも時間をとってもらってイスラエルと日本の間の文化の違いや距離についてのディスカッション、彼らの質問に対する日本人学生への簡単な質問調査にも及びました。
イスラエル人との、「小さなゼミ」の時間がいくつもできました。

思いがけない出会い
若いイスラエル人カップルとのチャウシェスク邸での会話や議論は、私のゼミ生たちにも、とても刺激になったようです。このような状況は、日本国内でどんなに熱心にまた念入りに準備をしても可能ではないものだったので、私としてもゼミ生をヨーロッパに連れて来た甲斐があったと感じることができた至福の瞬間でした。

ルーマニアにおけるドイツ(ザクセン)の影響
11日(水曜日)には、シナイアに1日旅行をしました。あいにくこの日からルーマニアは秋日和で、雨の1日になりました。それでも、ドイツ(ザクセン)人の王が夏の避暑のために創建した豪華な建物(城)は、あとで聴くと多くのゼミ生にとってルーマニア滞在のなかでもっとも印象に残った訪問先だったようです。英語のガイドをしてくれた大柄なルーマニア人の女性が、ガイドの途中で自分の眼前にいた小柄な女子学生に突然「あなたはとてもキュート(魅力的でかわいいですね)」と口にしたのに対して、当該学生がフレーズに即座に反応して「どうもありがとうございます!」と、気持ちを込めてすぐに笑顔で返してくれた瞬間は、日本とルーマニア(ヨーロッパ)の間で気持ちが通じ合った異文化交流として、咄嗟に成立した会話風景として、引率した私もとても嬉しく心地よいものを感じた瞬間でした。
ちなみに、古典ギリシア語には、「いっしょに―感じられる」(シュン―アイスタネスタイ*)という言葉があります。ヨーロッパ(ルーマニア)と日本の間で、まさにそうしたものを感じられる瞬間でした。

リビウ大学との文化交流会とウクライーナ支援
最終日12日(木曜日)は、午前中は予定されていたウクライーナ・リビウ大学の学生と教員との、Zoomを利用した文化交流会でした。ルーマニア・アメリカ大学側がその日本センターの教室で入念に準備してくれたこの交流会も、盛況で、とても有意義な交流会になりました。おそらくリビウ大学側がより多く参加したであろうこの文化交流会では、日本側が東京の交通事情と日本の大学生の1日に関するプレゼンテーションを、一方、ウクライーナ側は修士課程の学生が戦時下におけるウクライーナの大学生活について、また博士課程の学生はロシアと戦争状態にあるウクライーナの社会状況について広範囲に、報告をしてくれました。
プレゼンテーションは、すべて英語で行われました。ウクライーナ側のネットワークが不安定でときおりプレゼンテーションの声が届かなくなったことを除けば、文化交流会はうまく機能したと思います。交流会終了後に、ウクライーナ側の責任者であるリビウ大学のオーリャ先生に感想を聞きましたが、ウクライーナの学生たちも交流会が実現できたことにとても満足していたとのことでした。

ルーマニアのなかのドイツとフランス―買い物経験が創造する新しい生活水準―
その日の午後は、まず大学近くにあるドイツ系安売りスーパーである「リーデル」で物の値段と品質、種類を確かめ、それからAFI Mallという街中Shopping Mallに行き、ヨーロッパ統合下におけるブカレストの都市生活の変容について、さらに理解を深めました。AFI Mallは、ウクライーナにもすでに進出しているフランスのスーパー「オーシャン」を中核に建設されたショッピングモールでしたが、支払いはすべてセルフでキャッシュレス、出る時にはレシートのQRコードをかざさないとスーパーから出られないという、日本でもまだお目にかからないような先進的なシステムになっていました。

ヨーロッパのなかのルーマニアと日本―ブカレストと東京の経験―
日本では、ヨーロッパほどキャッシュレス決済がまだ進んでいないのと、品川イオンスタイルのような先端大規模スーパーでも、すべて支払いがセルフになっているところはまれであることを思い出しました。AI時代になくなる仕事のひとつがスーパーのレジ係というのは、日本でもだいぶ前から喧伝されていましたが、ヨーロッパ統合下の経済先進国ではないルーマニアですでにこのリアリティが現実のものになっていることに、学生は驚いたとともに、すぐに馴染んでもいるようでした。
「外出する」「外に出る」(山や畑や田んぼにではなく)というのは、その内容から言えば重要な「都市的経験」のひとつです。学生たちは、ヨーロッパ統合下のブカレストと、世界最大の大都市であるアジアの東京との間に、時に類似性、またおおむね大きな違いを見出して、ゼミ研究旅行の成果を獲得してくれたようです。

無事帰国
13日(金曜日)は、キリスト教においてはあまりよくない日ですが、大学が手配準備してくれた大型バスで、わたしたち20名は無事国際空港まで何の問題もなく到着できました。
ドーハ経由で成田に到着するまで、誰ひとり体調不良もなく帰って来ることができたのは、今回比較的緩めにスケジュールを組んでいたからだと一安心した次第です。

*"τὸ δ᾽ εἶναι ἦν αἱρετὸν διὰ τὸ αἰσθάνεσθαι αὑτοῦ ἀγαθοῦ ὄντος, ἡ δὲ τοιαύτη αἴσθησις ἡδεῖα καθ᾽ ἑαυτήν. συν-αισθάνεσθαι ἄρα δεῖ καὶ τοῦ φίλου ὅτι ἔστιν, τοῦτο δὲ γίνοιτ᾽ ἂν ἐν τῷ συζῆν καὶ κοινωνεῖν λόγων καὶ διανοίας: οὕτω γὰρ ἂν δόξειε τὸ συζῆν ἐπὶ τῶν ἀνθρώπων λέγεσθαι, καὶ οὐχ ὥσπερ ἐπὶ τῶν βοσκημάτων τὸ ἐν τῷ αὐτῷ νέμεσθαι."(1170b8-14)「、、、ひとは親愛なひとについてもその存在していることを同時にやはり知覚することを(シュン―アイスタネスタイ)要する。しかるにこのことが可能となるのは、相手と生を共にするということ、すなわち、談論(ロゴス―筆者の挿入)や思考(ディアノイア―同前)を共にするということにおいてである。これが実際、「生を共にする」(シュゼーン)ということの人間の場合における意味なのであって、牧獣の場合のごとくに同じ場所に棲息しているというだけには尽きないと考えられなくてはならぬ。」(高田三郎訳(1973)『ニコマコス倫理学』岩波文庫、下巻、141ページ。引用にあたって強調をふくめ一部加工した。)

(岩永真治)

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