2024年度のテーマは( いきなりで恐縮だが) 「ワビ、サビ、クソ」としたい。
20世紀の人々が抱く未来、または 21世紀のイメージは、人々が苦役( 労働) から解放され、各人が幸福かつ快適な未来生活を享受するイメージだった。生産性や技術革新が止まらなければ、たとえ大半の人々が仕事をしなくても「ベーシック・インカム」による財の再分配を通じて、人々は例外なく未来的な恩恵を享受できるはずだったはずだ。
ところが人々の抱いた未来イメージは、手繰り寄せようにも遠ざかるばかりだ。その理由をデヴィッド・グレーバーの『官僚制のユートピア』( 以文社) および『ブルシット・ジョブ』( 岩波書店) を読みながら解き明かしてみたい。
グレーバーが抉り出そうとした現代社会の凡庸な「愚行」は、ハンナ・アレントの言う「悪の凡庸さ」にも通じている。もしもアーレントの『イェルサレムのアイヒマン』( みすず書房) を挟むなら、歴史的な事例を迂回路にして、私たちの日常に巣くう「悪」の今と対峙することになるだろう。グレーバーの『ブルシット・ジョブ』の刺激的な問題提起に応える解の一つがそこにあるだろう。
いずれにしろ、私たちが歴史から学ぶのは、あくまで今の問題を問うためである。私たちの生きる時代の「悪」や「クソ」を問題化したいので、ゼミ生の関心の動向によっては、計画や方針はいくらでも変更したい。
(1) 基本的にはいくつかのグループに分け、順番に発表してゆく。
(2) 読む力だけでなく、書く力をつけてもらうため、原則として毎週レポートを提出する( ただし、当該週の発表者は免除) 。
(3) 現段階では、デヴィッド・グレーバー『官僚制のユートピア』および『ブルシット・ジョブ』から、ジャン= フランソワ・マルミオン編『バカの研究』に進む道筋を考えている( ただし、ゼミ生の関心によっては、方針を変える可能性もあり) 。可能なら夏合宿を行ない、2 泊 3 日、監禁状態になって全員で苦しみ抜くことになるので、「遊べるかも」とか余計な夢は見ず、合宿が可能になったことを無条件の喜びとするように。