われわれが最近、少子・高齢化との関連でよく聞く、合計特殊出生率、つまり一人の女性が一生の間に何人の子どもを産むかを表した数値ですが、これは厚生労働省が行う人口動態に関する調査から算出されたもので、わが国の社会保障制度を設計する時の基礎的なデータになっています。わが国の場合、この合計特殊出生率が1970年には2.13であったものが、5年後の1975年には1.91となり、2.0を下回りました。以後、どんどんこの数値は下がっていき、1990年代の後半には1.3の大台に乗ります。そして、この頃からこのままでは将来、社会保障制度を維持できないという危惧が深刻化し、政府も急に少子化対策を強調するようになってきました。
しかし、よく考えてみると、われわれの社会はいま基本的には一夫一婦制を原則としているわけですから、2.0(厳密には乳幼児死亡などがあるので、それよりも少し上の数値)を下回ったあたり、すなわち30年以上も前から、政府は少子化対策を長期的な視野から考えなければならなかったはずです。ちなみに、国際的な視野からこの数値をみると、アメリカは21世紀に入ってもまだ2.01を維持していますし、フランスは1995年に1.71まで下がった数値が、2001年には1.90に回復し、最近の情報ではついに2.0を越えたそうです。また、福祉国家として名高いスウェーデンは、1990年に2.13であった数値が1998年には1.50に急激に下がったものの、2002年には1.65まで回復してきています。
このように、社会福祉に関わる現象・現実を具体的な数値データを用いて考えていくのはとても大事なことです。たとえば、上で述べた話でいえば、"なぜわが国の合計特殊出生率の低下が止らないのか"、言い換えれば"日本の若い女性がなぜ子どもを産まないのか"とか、"なぜフランスやスウェーデンは合計特殊出生率が回復してきているのか"、あるいは"少子化の進行を防止するために、両国の政府は具体的にどのような対策を行っているのか"とか、わずかひとつの指標からでもいろいろと考えることができます。
人間は感情的な生き物ですから、どうしても主観的にものを見がちです。もちろん、それはそれで一方的に否定されるべきではありませんが、どのような人も一様に納得できる客観的なものの見方はとても大事だと思います。ロンドン調査で有名なC.ブースは「社会を変革する力は人間の情熱のなかに存在する。しかし、社会を正しく変えようと思うならば、それは統計(調査)によって導かれていなければならない」(括弧内は筆者)と述べています。C.ブースはちょうど100年程前に活躍した人ですが、今日でも彼の言葉は重要な意味をもっているといって良いでしょう。
最近はインターネットが広範に普及していますから、社会福祉調査を理解するために、まず厚生労働省のホームページ(http://www.mhlw.go.jp/)にアクセスしてみてください。そして、そのなかの「統計調査結果」のところをクリックすると、みなさんはきっとその数の多さに驚くと思います。厚生労働省は、国民の生活を守り、支えていくための政策を企画・立案し、実施していくために、これだけ多くの「社会福祉調査」を行っているのです。また、社会福祉調査を行っているのは、何も政府(厚生労働省などの中央政府)だけではありません。地方自治体(都道府県や市町村)、社会福祉協議会、特定非営利法人(NPO法人)、民間の調査研究機関(シンクタンク)、新聞社なども社会福祉調査を行っています。試しに、インターネットの検索エンジン(Yahoo、Googleなど)で「社会福祉調査」と入力してみてください。きっと信じられないほどの数のサイトがヒットし、みなさんはまたまた驚くはずです。
ここまで述べてきたように、社会福祉調査は、実はわれわれの日常生活のなかに溢れています。そして、それはわれわれが社会福祉調査を通して、社会のさまざまなものとつながっていることを意味しています。社会福祉調査は、いわば社会に対して開かれた「窓」(ウィンドウ)なのです。いろいろな「窓」を開けると、さまざまな「風景」(社会福祉の現実)が見えてくる。この点に、社会福祉調査のおもしろさ!、大事さ!、身近さ!があるといって良いでしょう。では、どのような窓を開ければよいのか。それは、どうかみなさん自身で考えてください。社会福祉調査は、すでにそこからスタートしているのです。
社会福祉調査(論)は実に幅が広く、奥の深い領域なので、みなさんに読んで欲しい文献は多岐にわたります。また、少し本格的な専門書になると、多くの場合、統計学の知識が必要となり、複雑な数式が出てきますから、文科系の学生たちは辟易すると思います。しかし、初学者にとって重要なことは、必ずしもそうした専門的な知識ではなく、むしろ社会福祉調査に関心をもつ、あるいは社会福祉調査という「窓」を通して見えてくる「風景」(社会福祉の現実)に関心をもつことだと思います。その意味でいえば、日々の新聞や雑誌、あるいはニュースやテレビ番組(たとえば、NHKの特別番組など)も、社会福祉調査の"素材"になるわけです。
さて、現代はインターネットの時代ですから、ネット上にもたくさんの情報があります。
さしあたり、下記のHPは、社会福祉を学ぶ時に参考になるので、アクセスをして、具体的な調査結果などを読んでみてください。もし"これはおもしろい!"という調査があれば、それが社会福祉調査(論)の"はじめの一歩"になります。
専門課程へ進むと少しだけ本格的な学びが始まります。私が担当している社会福祉調査論では、最初の講義で詳細な文献紹介を行いますが、ここではそのなかから3冊だけ取り上げてご紹介することにします。
20代前半の頃、大学を横に出て、文字通り"風に吹かれて"生きていた時期がありました。その頃は、"これから一体どのように生きていけばよいのか"ということをかなり思い悩んでいて、いま思い返してみても、相当すさんだ生活を送っていたように思います。
やがて思うところあって、他人の役に立てるような職業、そしてそれが実感できるような仕事をしたいと考え、社会福祉専門の大学に入りました。高校時代の同級生が、社会人になってからもうすでに数年が経っていました。しかし、その大学での先生方や社会福祉を志す友人たちとの"出会い"が私に社会福祉を学ぶことの素晴らしさ、あるいはそれを一生の職業にすることの尊さを教えてくれたように思います。そしてこの出会いが、いまでも私の"原点"になっています。
大学3年生の時に、横浜市の児童相談所で実習をしたのですが、その時、児童福祉司(ソーシャルワーカー)の方から大学院で幅広く、より深く社会福祉を研究することを勧められました。幸いにも本学(明治学院大学)の大学院へ入学することができ、研究を続けていた時、それまでは社会福祉のマクロ理論の研究に関心があった私が、神奈川県のリサーチ(調査研究)に平岡公一先生(現・お茶の水女子大学教授)と一緒に参加する機会に恵まれました。「理論なき調査は盲目であり、調査なき理論は空虚である」。これは、社会科学における理論と調査(実証)の密接な関係(社会福祉学の場合、これは理論と実践の関係に置き換えることができる)について述べられたものですが、上記の調査研究のプロセスで理論研究だけでなく、実証研究にも深い関心をもつようになりました。これが、私と社会福祉調査との"出会い"であり、以後、リサーチを専門のひとつにして研究するようになりました。そして、この出会いこそが、大学院修了後、大学の研究機関で私が本格的にリサーチに取り組み、やがてその王国、アメリカヘと旅立たせる"原点"になったように思います。
20世紀、われわれ日本人は「豊かさ」をもとめて、ひたすらに経済成長の神話を追い求めてきました。しかし、われわれは、もはや"坂の上の雲"(司馬遼太郎)をみることができない、あるいはそれが難しい状況にあると思います。21世紀は、経済的な豊かさだけでなく、国民ひとり一人の「生活の質」を重視しなければならない時代になります。そのなかで、社会福祉は、その価値や存在意義を真に問われるようになるでしょう。学生諸君にはこうした視点から、大学で「学問としての社会福祉」(社会福祉学)を学ぶことの意味や意義をあらためて考えてみてほしいと思っています。そして、その経験はたとえ将来どのような道に進んだとしても、必ずみなさんの人生の大きな「財産」となるはずです。明治学院大学社会学部社会福祉学科は、教員と学生が一緒にそうした経験を共有できる「プラットホーム」だと思っています!